世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

チェスキ・クルムロフ城のタワーの階段もホテルの階段も上りは辛いですが眺めは抜群でした(チェコ)

2017-11-05 08:00:00 | 世界遺産
 バルト三国を南から北へ紹介してゆきましたが、似ているところあり、違っているところありで三国を順に訪問すると面白いかもしれません。ラトビアに三兄弟の家があるかと思えば、エストニアには三姉妹のホテルがありました。この三姉妹のホテルに泊まった方から、エレベータの無い4階の部屋で荷物を持って上がるのが大変だったことをお聞きしました。一方、筆者は元は修道院であったホテルで、やはりエレベータの無い3階の部屋に泊まったのがチェコのチェスキー・クルムロフでした。今回はこのチェスキー・クルムロフを紹介します。

 
  
 
 チェスキー・クルムロフへは、17年も前の訪問でしたので、現在は状況が変わってしまっているかもしれません。チェコの首都ノプラハを流れるヴルタヴァ川の上流にあり、プラハの南120kmほどにあります。プラハからビールのバドワイザーの語源となった町チェスケ・ブデヨビチェまで鉄道で2時間半、そこからバスで45分くらいの場所です。ヴルタヴァ川が何度も蛇行をして流れの方向を180度以上も変えていますが、そのこぶ状の一つにチェスキー・クルムルフ城があり、の南のこぶ状の場所にホテルや教会、美術館、広場などがひしめいています。どちらも直径が200~300m程度の川に囲まれた狭いエリアです。泊まったホテルは、南のこぶの南の縁で、ホテルの裏側はヴルタヴァ川が流れています。お城からは遠い側のホテルなのですが、お城が見える部屋が少しだけあり、アサインされた部屋は最上階の屋根裏部屋でした。螺旋階段を上がっていくのは辛かったのですが、ライトアップされたお城が居ながらにして眺められる贅沢な部屋でした。ただ、偶然にも重い荷物は、乗換駅のチェスケ・ブデヨビチェに預けていたので、階段を持って上がる荷物は身の回りの品だけでした。


 チェスキー・クルムロフは13世紀後半から城と町の建設が始まり、ヴルタヴァ川の水運を利用して繁栄しました。しかし、19世紀になって鉄道の幹線から外れて徐々に衰退をしていったのは、日本でもよくあるケースのようです。第2次大戦まで多くいたドイツ系の住民は戦後に追放され、町は廃墟同然となったそうです。ある意味、その時点で町全体が冷凍保存されたのかもしれません。その後、ビロード革命を境に町並みの復興がなされ、かつての美しさを取り戻したそうです。

 
 
 
 お城のある丘の上から眺めるとホテルや教会のあるこぶ状の地域は、オレンジ色の屋根が連なり、その向こうの緑との対比で際立った美しさがあります。

 その丘の上のクルムロフ城は、18世紀にバロック様式で改装され、その時に劇場も建設されています。場内は、ガイドツアーのみで見学でき、1時間くらい、当時はチェコ語、独語、英語の3種類でしたが、現在は増えているかもしれません。当時は劇場は工事中でしたが、現在は公開され、機械式の舞台装置も見られるようです。お城の塔はガイドツアーとは別に上ることができ、階段の上りはきついですが、頂上からはジオラマのような街並みと緑の丘が眺められます。

 町が寂れて、その結果で古い町並みが残され、観光客を呼んだ町はチェスキー・クルムロフに限らず、我が国においても、あちこちで耳にします。ただ、観光用の建物群だけではなく、現役の建物にも古い建物を使い続けるのがヨーロッパ流かもしれません。日本では、観光用の古い建物は、展示館や博物館になってしまい、現用として活躍しているものは、少ないように思います。特に役所関係はコスト意識がないのかすぐに壊して立て替えてしまうのは不愉快です。手狭になったというのなら、役所の口出し範囲を小さくすればよいし、無線化が進み消費電力が減って、昔のようにITオフィス用の2重床の必要も無くなっているでしょうに。


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