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都心の大久保に小泉八雲の終焉の地がありました

2006-07-16 14:23:07 | 日本の町並み
 ギリシャの神殿を模した柱のそばの花壇には色とりどりの花が咲き乱れています。そばには外人の彫像があって、ちょっと他の公園とは雰囲気が違います。こんな公園が都心の大久保の近くにあり、公園の名前は小泉八雲記念公園で、彫像の主はもちろんラフカディオハーン(小泉八雲)その人なのです。

なぜこんなところに、と思われるかもしれませんが、東京大学で教鞭をとっていたときに公園の東の大久保小学校近くに住み、そして終焉を迎えた土地ということからです。今回は、小泉八雲ゆかりの土地のいくつかを紹介します。

 大久保の小泉八雲記念公園にギリシャ神殿風の柱が立っているのはラフカディオハーンが、アイルランド人の父とギリシャ人の母の間にギリシャで生まれたからのようです。終焉の地は、ハーンが住んでいた明治の頃はかなりの田舎だったそうですが、現在は新宿から大久保にかけての住宅街に飲み込まれてしまった感じがします。旧宅のあとは、小学校の校庭で何も残っていませんが、解説文と写真の載っている横長の碑が生垣の前に立てられていて、かつての存在を示しています。

 小泉八雲の名前は、来日し松江で結婚した小泉せつさんの姓と出雲の国にちなんだ名前を組み合わせたものです。ハーンは東京や松江以外にも、熊本や神戸にも住んでいたようですが、名前が示すように小泉八雲=松江という感じが強いように思います。ただ、松江にいたのはほんの1年ちょっとのようで、熊本に引っ越してしまったようです。しかし、松江がハーンに与えた影響は大きかったようで、日本を見る目の基本が松江で培われたのではないでしょうか。松江城の北側の塩見縄手にはヘルン旧宅(松江ではハーンをヘルンと発音するようです)が残され、周りの景色に溶け込んでいます。

ハーンの住んでいた頃はもっと田舎だったかもしれませんが、車の行き来が多いのが気になるくらいで、武家屋敷や松江城の遠景を眺めながらの散歩はハーンの愛した日本の原風景を垣間見るように思います。

 ヘルン旧宅には、椅子に比べてずいぶんと背の高い机が残されています。これは、彼が片眼でかつ強度の近視であったためで、目と机の距離を近づけるため工夫だったようです。

ハーンの悪口を言う人の中には、近眼の彼に日本が見えたはずがない、と批判されることもあります。しかし、現代の日本人が見えなくなってしまった、日本の姿をしっかりと見ていた、陽に思います。逆説的に言うと、目が悪いゆえにかえって心の目で日本を捉えることができたのではないでしょうか。

 ハーンの代表作の怪談の中に「耳なし芳一」の話があります。琵琶の名手で盲目の芳一が平家の亡霊に取り付かれるという話で、亡霊よけに体中に経文を書いてもらうことになりますが、耳にだけ書き忘れられたために、亡霊たちに耳を引きちぎられてしまう、というものです。話のすじそのものはさして複雑ではありませんが、盲目の芳一が亡霊に連れてゆかれる部分では、周りの音や雰囲気の描写が盲人でないと描けないほどのきめの細かさを持つものと評価されています。
 芳一の耳はネットワークやPCのセキュリティホールのようなものであったかもしれません。ほんの小さな弱点が、大きな災いの元になってしまうのですから。


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