世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

かつて無錫旅情という歌がありましたが、太湖以外には工業都市の無錫は魅力に乏しい都市でした(中国)

2020-10-04 08:00:00 | 世界の町並み
 バルト三国の最も南に位置するリトアニアの首都から日帰り圏にあって、多くの湖水やお城のあるピクニックに好都合な場所がトラカイでした。山ばかりの風景の中に水があると絵になることが多く、それが川であったり湖水であったり、時には海の場合もあります。中国の清朝の出身は旧満州で山ばかりの風景の中で育ったため、江南地方の水のある風景にあこがれ、承徳の秘書山荘の庭園には江南の湖水を模した池があり、北京郊外の頤和園の中にも規模は小さいのですが水のある風景が作られています。その江南地方の水郷風景は、世界遺産の蘇州など上海の西側に日理がっていますが、今回はそれらの中から、中国で三番目に大きな淡水湖の太湖の北岸にある無錫を紹介します。ただ、訪問したのは20年以上も前で、デジカメの性能はおもちゃの域を出ず、画素数も色合いもかなりひどく、アナログの写真をスキャナで取り込んで補いました。

 無錫は上海の西130kmほど、在来線では80分ほど、新幹線では30分ほどですが、新幹線の駅は市街地から離れているようです。無錫とは、字の通り錫(スズ)が無いということですが、かつては豊富なスズの産地で有錫とも称される鉱業都市であったのが前漢時代までに掘りつくしてしまって無錫になってしまったと言われています。ただ、この地方で話された越語の研究から、この説を否定する見解もあるようです。錫は青銅の原料の一つですから、青銅器文化華やかりし頃は、大いに栄えた都市の一つだったのでしょう。この錫が取れなくなっても、7世紀に開通した京杭大運河が通り、江南と北京とをつなぐ物流都市として発展をつづけたようです。

 現在の無錫市は人口が500万人を超えているので東京23区と横浜市との間くらい、福岡県の総人口ほども生活をする大都市になっています。市域の大部分が沖積平野で、一番高い山でも600mほどと、土地の利用効率が良いことも理由の一つかもしれません。工業化が進み、日本をはじめ外資系企業の進出も盛んなところのようです。

 
 
 工業都市のイメージが強く、観光の中心はお隣の蘇州で、無錫には観光ポイントは、あまり多くありません。おそらく最大の観光ポイントは太湖で、竜宮線のような観光船で巡りますが、なにせ琵琶湖の3倍以上の面積のある湖ですから、無錫の近くをチラと巡るだけです。この太湖の水のおかげで、太鼓の島々や無錫の丘にある石灰岩が侵食され穴だらけの太湖石を産み、お隣の蘇州の庭園には数多くの太湖石が並んでいますが、司馬遼太郎氏には酷評されています。

 
 
 
 
 かつて錫が採れたという山が錫山で、現在は頂上には龍光塔が建っています。そしてこの龍光塔の麓に広がるのが錫恵公園で、かなりの広さがあり、その中の寄暢園には蘇州にあるような庭園があります。筆者府が訪問した時は花まつりの最中で、公園中に花があふれていました。この園の中に天下第二泉という唐代に開かれた泉があります。「茶経」の著者の陸羽によると、この泉は、お茶を点てるための水として二番目に優れているというものです。ちなみに天下第一泉は山東省済南にあるのだそうです。

 錫というと、かつてはブリキのおもちゃに代表されるブリキ板の原料として鋼板にメッキをするための原料としての性格が強かったように思います。ブリキと聞くと安物の代名詞のように聞こえますが、錫を主成分とするピューターで作られた食器は高級品のイメージがあります。IT分野では、配線を接続するための半田が古くから使い続けられています。融点の低いことを利用したもので、筆者の若いころは真空管式のアンプなどにコンデンサや抵抗などを半田ごてを使って取り付けていました。現代では、ICなど部品の載ったプリント基板を溶けた半田の池に浸したり、半田の粉末をプリント基板に印刷して加熱したりと、半田ごての出る幕はありません。回路の大部分がIC化され、壊れたら全取り換えという技術の流れは、ちょっと寂しい感じもします。