世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

筑波山への参道沿いの北条には理想住宅を目指した矢中の杜も残されています

2019-01-20 08:00:00 | 日本の町並み
 竹ノ内街道の奈良県側は、街道と並行して二上山に向かって當麻寺の参道が伸びていました。格子や白壁の家並が続き、天覧相撲の発祥の地もこのあたりでした。かつて、その土地で目立った山々は信仰の対象となることが多かったようで、関東平野に独立峰としてそびえる筑波山は、全体が筑波山神社の神域になっています。この筑波山神社に詣でるため江戸時代に作られたのがつくば道で、終点はもちろん筑波山神社ですが始点はつくば市の北条地区になります。今回は、この北条地区から少しつくば道を北上した神郡(かんごおり)あたりまでを紹介します。

 つくば市北条地区は、JR常磐線の土浦からつくば神社行きなどの路線バスで40分ほど乗ったところ。バス道路の周辺に家並はありますが、それ以外は見渡す限り田んぼが続きます。中心になる北条仲町で下車をすると、道端に「ここより つくば道」の巨大な石柱が建っています。つくば道は、ここからほぼ真北におよそ6km、つくば神社まで続いています。


 
 
 北条仲町には、矢中の杜という昭和初期に建てられた近代和風住宅が残り、毎土曜日に内部が公開されています。建てたのは建材研究家の矢中龍次郎氏で、15年をかけて研究成果の建築資材を駆使した理想の和建築を目指したものだったそうです。本館と別館の2棟からなり、国の登録文化財になっています。皇室を招くことも意識をしたようで、居住スペースの本館に対して、別館は迎賓館として使われたようです。龍次郎氏が亡くなってしばらくしてからは、40年ほど無住となりましたが、平成20年に所有者が変わった後、手入れが進み、現在のような姿になったそうです。

 
 この北条仲町のバス停の南側には、江戸末期に建てられ醤油の醸造販売を行っていた宮本家住宅の重厚な土蔵造りの建物が残っています。道路側からは店蔵しか見えませんが、奥にも土蔵造りの住居が残っているそうです。こちらの店蔵も登録文化財です。

 
 
 
 さて、つくば道の道標から北に向かうと、真言宗の普門寺などがあり、そのほかは丘や林や田んぼが続く道です。普門寺は14世紀の創建で、つくば市で最も古いお寺の一つ、豪族の小田氏の出城の役割を果たしていたそうです。普門寺を通り抜けてさらに北に進むと神郡地区です。江戸時代には陣屋も置かれたそうですが、むしろ筑波山への参道として発展した名残がある町並みです。土蔵造りや長屋門、それに石倉などが残りますが、なんとはなしに虫食い状態のような感じを受けます。

 矢中龍次郎氏の発明品にマノールというものがあります。セメントに混ぜて、防水性を高める添加物で、屋上や外壁などに塗るモルタルに使われるそうです。鉄筋コンクリートの建物は、文字通り中に鉄筋が入ってるわけで、この鉄筋を錆びさせる水は大敵です。水が大敵なのはIT機器も同じで、かつての携帯電話機には、内部に水と反応する特殊塗料が塗られていました。この塗料の色が変わっていたら携帯を水濡れさせた証拠で修理不能とされていました。最近のスマホでは、裏ブタをしっかり閉めると、万が一水中に落としても無事のようです。サウナや湿式サウナでスマホや携帯を使ってるのを見てビックリします、高温もIT機器は苦手のはずなんですが。