世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

竹ノ内街道の奈良県側には白壁の町並みと中将姫伝説の當麻寺があります

2019-01-06 08:00:00 | 日本の町並み
 聖徳太子も通ったと言われる竹ノ内街道の大阪方には聖徳太子が眠る太子廟のあるお寺もありました。一方、竹ノ内街道の奈良川は葛城市の街道名にもなっている竹内ですが、この近くには背後に二上山を抱く当麻寺があり、参道沿いには大和造りの古民家が軒を連ねています。今回は、この当麻寺界隈を紹介します。

 
 
 
 
 竹内を起点とする竹ノ内街道は、国道166号に飲み込まれてしまい、旧街道の趣はあまり残っていません。代わりに、街道の北側に並行して東西に延びる当麻寺の参道に格子であったり板壁の上部に白漆喰に虫籠窓が付く土蔵造りの古民家が沢山残されています。この町並みは、近鉄の当麻寺駅から延びる当麻寺の参道を300mほど西に行った当麻蹴速の塚あたりから当麻寺まで続きます。

 
 この当麻蹴速の塚というのは、この地で生まれた怪力の持ち主であった当麻蹴速(けはや)を祭る塚です。当麻蹴速とは、當麻に生まれ力自慢の持ち主で、日ごろから自分より力のあるものは居ないと豪語していたそうです。これを伝え聞いた天皇は、当麻蹴速より力の強い人物を探せと家臣に命じ、出雲出身の野見宿禰と力比べということになりました。我が国初の天覧相撲となったわけですが、結果は当麻蹴速は野見宿禰に敗れ死亡したとのこと。この塚の近くには相撲館けはや座があります。

 
 
 この参道からは、二上山をバックにして当麻寺が良く見えます。二上山は雄岳と雌岳からなる双耳峰で、竹ノ内街道はこの二上山の南の肩の部分を越える峠道です。古代には二つの峰の間に夕日が沈むことから神聖な山として崇められ、和歌にもよく詠まれる山の一つです。雄岳の頂上近くには、権力争いに敗れた大津皇子を祀ったと言われる墳墓もあります。麓にある当麻寺は7世紀創建で、中将姫伝説と、国宝の東西両塔が残っていることで有名なお寺です。中将姫伝説とは、中将姫という藤原鎌足の曾孫の子供にまつわるものです。中将姫は才色兼備の誉れ高い御姫様でしたが、故あって当麻寺に入り尼となります。ある夜に観音様のお告げがあり、ハスの糸を使って曼荼羅を作り、それが現在も当麻寺に伝わる国宝の当麻曼荼羅というものです。ただ、この根本曼荼羅を調べたところ、ハスの糸ではなく錦の綴織りであることが解っているそうです。一方、東西の塔は薬師寺にもありますが、東塔は天平時代の国宝ですが西塔は昭和時代の再建で、当然無指定です。そのため、何かちぐはぐな感じは否めません。當麻寺の塔は、東塔が奈良時代、西塔が平安時代の再建と建設時代は異なり、建築意匠も異なる点が多いものの、何とはなしにお似合いの二人って感じです。ただ、両塔を写真として同じ画面に撮り込むのは難しく、ドローンでないと綺麗に撮るのは無理かもしれません。

 根本曼荼羅の錦の綴織は同時代の日本の綴織に比べて桁違いに密度の濃いもので、中将姫の伝説とは大いに異なり、中国伝来ではないかとも言われています。最近の古文化財の研究では、色々なIT技術が使われています。X線で内部を透視するのは当たり前で、国立博物館には、仏像をまるごとX線CTにかけてしまう装置もあります。絵画の世界でも、X線だけでなく赤外線や紫外線など可視光以外を使った解析が進み、贋作であることが見破られることもあるようです。ただ、ITによる分析からではなく、人間の直観で見つけられることも多いのではないかと思います。ただ、そのうちに、その直感が数式化されITマシンに組み込まれるのでしょう。