世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

高槻の富田には2軒だけ残った造り酒屋の周辺と旧寺内町に古い町並みが残ります

2013-01-20 08:00:00 | 日本の町並み
 京阪間に思いがけない古い町並みを残しているのが枚方宿でした。枚方宿は、宿場町となる前は浄土真宗の寺内町として骨格ができましたが、同じ京阪間にもいくつかの寺内町があります。今回は、それらの中から、枚方からは淀川の対岸に当たる高槻市の富田(とんだ)を紹介します。

 富田は大阪府の北辺にある高槻市の一部で、高槻市の中では南のほうに位置します。JRと阪急とに富田の名前を冠する駅があります。富田は、駅の南500mほどにある教行寺の寺内町として骨格ができ、江戸時代初期には酒造の町として栄えたようです。高槻市の一部ですが、高槻城を中心とした城下町の高槻市街地よりも歴史の古い町です。

 酒造の町として栄えた富田も、江戸中期以降になると、池田や伊丹、それに灘の酒に押されて次第に衰退してゆき、現在では造り酒屋が2軒残るのみです。

 
 一軒は、阪急の駅の南100mほどの壽酒造で、板壁の上に白漆喰が美しい酒蔵が道路からも良く見られます。

 
 他方は、教行寺の東にある清鶴酒造で、こちらの酒蔵は昔風のデザインを新しい工法で作ったものですが、会社の事務所は格子の連なる美しい建物です。

 
 この二つの酒造会社の周辺には、格子をはめ、土蔵造りに、虫籠窓のある家並みが残されています。周りは、マンションやアパート、戸建ても現代風の家ばかりなので、これらの家は、お酒屋さん関連の家なのかもしれません。

 
 2軒の造り酒屋のちょうど中間あたりには、教行寺と同じ浄土真宗の本照寺があります。富田御坊と呼ばれ、寺内町は教行寺を中心としたものから本照寺を中心とする寺内町に変化していったようです。道路に面して立派な門があり、本堂も真宗寺院に見られる堂々としたものです。山崎の合戦の折には、秀吉が陣を張ったという歴史も残っています。周辺には、寺内町の名残の町並みも残っていて、仏壇屋さんなども目立ちます。

 寺内町を形作る浄土真宗と聞くと、一向一揆を思い浮かべてしまいます。当初は、民衆を弾圧する権力に抵抗する闘争であったと思うのですが、次第に寺を核とする権力そのものに堕落したようにも思います。IT分野でも、当初は、新しいもの、便利なもの、生活が豊かになるもの、などの夢を実現するため開発者は努力をします。しかし、やがて資本と結びつくと、権力となって利益の追求に、手段を選ばず奔走するようになるようです。利益のためには、当初の夢の実現とは反対の方向へ進むこともしばしばのようにも思います。世の中の仕組みが悪いのでしょうか、これが人間の本性なのでしょうか。