世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

京都と大阪の間にある枚方宿には予想外の規模で格子を連ねた家並みが残ります

2013-01-06 08:00:00 | 日本の町並み
 日本の資本主義の父といわれた渋沢栄一の記念館があり、記念かを含め3つの博物館が並んでいるのが王子でした。渋沢栄一は、いろいろな分野の会社の設立に関わりましたが、京都と大阪を結ぶ京阪電車もその一つです。今回は、京阪電車の沿線のなかで、かつては日本三大菊人形で有名であった枚方パークのある枚方を紹介します。

 
 
 枚方は大阪府の北東、京都府の八幡市と境を接し、戦国時代に浄土真宗の寺内町として町並みの骨格が作られたようです。当初の寺は、台地上にありましたが、やがて衰退して廃寺となりました。江戸時代になると、東海道の延長で京都と大阪を結ぶ京街道の宿場として栄えました。陸上交通だけでなく、淀川を利用した水運の中継基地としての役割も重要だったようです。寺内町の流れは、東西に分裂した本願寺がそれぞれ願生坊と浄念寺とが街道を挟んで並んでいます。かつての街道跡は、枚方パークの最寄り駅である枚方公園から枚方市駅にかけて京阪の線路の西側、淀川との間に伸びています。

 
 旧街道沿いに、出格子のはまった家、白漆喰の壁に虫籠窓のある町家がかなりの数で残されています。新しく建てられたと思しき家の中にも、同じトーンの家も見受けられます。大都市近郊としては、川越を除けば、思いがけない数のように思います。これらの民家群の中に、福井県の三国にしか存在しないと言われている「かぐら建て」という様式の家があります。かぐら建てという様式は、妻入り(通りに向け三角の妻がある)の母屋の前に、平入り(通りと屋根が平行)を追加した建て方で、通りから見ると平入りに見えます。

 
 
 街道の宿場町と舟運の中継基地を兼ね備えた町並みを象徴するのが鍵屋の建物です。鍵屋は、かつての船宿で、平成9年近までは料理旅館として現役でしたが、廃業後は枚方宿鍵屋資料館として保存公開されています。旧街道と淀川の両方に跨る敷地を持ち、街道とは反対側には、船が横付けできるよう水路が引き込まれていました。内部は、屋根裏までが見通せる背の高い空間を持つ土間や、太いはりの通る座敷の中に、江戸時代をしのぶ数々の資料が展示されています。ほの暗い部屋の中に、籠や徳川家の家紋が入った長持ちが無造作に置かれています。たんす階段もありました。

 菊人形は、顔と手足のみの人形に菊の花や葉を使って服を仕立てるものです。服の色は菊の花の色に制約されますが、なんとも贅沢な衣服の一つではないでしょうか。人形の一部や背景などが動くものもありましたが、ディズニーランドのような遊園地と比べて地味な存在で、枚方パークの菊人形も1996年を最後に閉幕されてしまいました。菊人形は秋に開催されますが、秋以外にも花が欲しいという要望に応えて開発されたものが電照菊です。菊は短日性で日照時間が短くなると咲く性質があります。初夏かから、秋にかけて日没後に照明を当てると開花を遅らせることができます。最近は、電灯の代わりに蛍光灯やLEDが使われているようです。植物には、日照時間に拠るものの他に寒さに当たらないと開花しないものもあり、早咲きのチューリップは、夏場に冷蔵庫に保存する手法が採られるようです。植物の中のどこに環境の変化を記憶する素子が埋め込まれているのでしょうか、少なくともICメモリでないことだけは確かそうです。