世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

かつて東洋の魔女を生んだ貝塚には、個性的な寺と町並みがありました

2008-09-14 16:25:19 | 日本の町並み
 連島のある倉敷は、倉敷紡績(クラボウ)の発祥の地で、アイビースクエアはその工場の跡ですが、クラボーと並ぶニチボーは、東京五輪で日本中を沸かせた東洋の魔女を生んだニチボー貝塚で有名な企業です。ニチボーは、現在はユニチカに名前を変え、バレーボールチームも他社に移籍されてしまいましたが、町のバレーボール熱はまだまだ冷めていないようです。この、貝塚にはバレーボールだけではなく、水間観音などのお寺や、虫篭窓のある家並みが続く町並みが残っている町なのです。

 貝塚市は、大阪府の南部に北西の大阪湾から東南に細長く伸びた市域を持ちます。細長い貝塚市の、北西半分くらいの中央を縦断するのが水間鉄道で、水間観音への参詣者を運ぶために大正期に引かれた鉄道です。一時期は、多くの参詣客を運んで大きな黒字を上げていたようですが、バブル期の過剰投資と、モータリゼーションのための乗客の減少で、経営破たんをきたし、現在は再建なった新会社で運行を続けているようです。この水間観音は8世紀に行基により開創されたお寺ですが、水間観音を有名にしたのは、今東光師ではないでしょうか。

師は昭和36年から水間観音の住職を勤められましたが、直木賞作家として、参議院議員とし、はたまた大学の講師としてなど多方面での活躍で話題となった僧侶の一人です。

 水間観音から、1kmほど東南に行ったところにあるお寺が孝恩寺です。畑や民家の中に本堂がぽつんと建っている、一見何の変哲も無いお堂ですが、鎌倉時代の密教建築様式を伝える貴重な建物として国宝に指定されています。このお堂は、別名を釘無堂と呼ばれ、釘を使わないで建てられたものですが、釘を使っていないお堂は他にも存在するようです。

水間観音は多くの参詣客でにぎわっていますが、国宝のこの本堂に足を延ばす人はほとんど見当たらないようです。

 水間鉄道で、貝塚まで戻り、駅の北西方向に向かうと、願泉寺の寺内町と旧紀州街道沿いの町並みとが交じり合った一画に至ります。願泉寺は、本願寺派の堂々たるお寺で、江戸初期の本堂や門などは重要文化財にも指定されています。

 寺内町などの町並みには、格子のある家、土蔵造りや2階に虫篭窓を持つ家などが軒を連ねて、富田林の寺内町に似た風景を作っています。

 一向宗徒による自治都市として、かなりの広さを誇ったようで、町を取り囲む環濠も存在していたようです。

ただ、都市の中心部に位置するために、虫食い状に再開発が進み、ゆったりした町並みも、やがては消えてしまうのではないかと、寂しい感じもしますが、妙に観光化した不自然な町並みや、古民家風の土産物屋の氾濫はやめてもらいたいものです。
 
 かつての水間観音の住職であった今東光師は、マルチ人間のお一人だったようですが、ダビンチや平賀源内など、多才というだけでなく、おのおのの分野で超一流だということは驚くばかりです。現在と比べて、技術の広さと深さが狭く浅かったからできたと、評する向きもありますが、芸術分野での業績は、どのように評するのでしょうか。最近の携帯電話は、カメラだけでなくTVの昨日、音楽プレーヤの機能など、マルチ化が進んでいて、これだけを持ち歩けば、他は何も要らないと言わんばかりです。小さな筐体にたくさんの機能を詰め込んだ実装技術には、目を見張るものがあり、組み合わせることで新しい使い方が生まれたことは認めますが、残念ながら既存の機能を寄せ集めただけで、創造的な付加価値は少ないように思いますが、いかがでしょうか。