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敦煌の壁画に対して龍門は石仏が見事です(中国)

2008-09-07 16:27:40 | 世界遺産
 敦煌の莫高窟の洞窟の中は、仏像もさることながら、壁画の量に圧倒されますが、龍門にはおびただしい石仏の数に驚きます。今回は、敦煌と並んで中国3大石窟の一つ、龍門石窟を紹介します。

 龍門石窟は、かつてたびたび都が置かれた洛陽の南にあり、市内から郊外バスに40分ほど乗った、川のそばの岩山の壁面にあります。ただ、バスを下車しても、石窟がある場所まではかなりの道のりがあって、みやげ物屋や公園が続きます。

ただ、このみやげ物屋街外が、古風な建物で建てられていて、他の観光地にあるようなて浮いた感じはしません。20分ほども歩いてやっと入場券売り場に到着ですが、歩くのがいやな人にはトラムも準備されています。石窟は川を挟んで、東山と西山に分かれていて、両者は閉空間でつながっておらず、いったんゲートを出て自由通路の橋を渡り再入場となります。通常は、バス停のある西山から入って、東山という順に廻りますが、有名な石仏は西山に集中していて、東山の石仏の数はあまりありません。ただ、川を挟んで東山から眺める西山の石窟群はなかなか壮観です。

 敦煌では、石窟の奥行きが深く、壁画の保存のためもあって、現代になって入り口に扉が付けられています。このため、中は暗く、なんといってもガイドに鍵を開けてもらえる限られた窟しか見られないという、不満が残ります。それに、一切の写真も撮ることが許されないことは、壁画の保存のためという理由を超えて、ガイドブックなどを売るための商魂すら感じてしまいます。龍門のほうは、岩山の石質が硬かったこともあって、窟が比較的浅く中の石仏が外からでもよく見て取れます。もちろん、写真を撮ることも自由です。

 西山のゲートを入っても、しばらくは石窟が現れませんが、やがて見えてくる岩山は、よく使われる表現ですが、まさしく蜂の巣状です。窟は地表から届く高さだけでなく、ずいぶんと高いところにまで掘られています。ルーブル美術館で、かなり有名な絵が2段、3段と重ねて展示されている光景を思い出します。ルーブルは、フロアーから眺めますが、こちらの石窟は、階段を上ったり、降りたりでかなり疲れます。疲れる階段の上り下りを何度か繰り返して、そろそろ西の端に着こうかというころに現れるのが、龍門最大の石仏群のある奉先寺です。

 中央の盧舎那佛は高さ17,14mで、則天武后の顔を映したとの言い伝えもありますが、アルカイック・スマイル様で端正な顔立ちは、一度見ると忘れられない仏像の一つです。

 ゲートを出て、橋を渡り東山のゲートを入っても、石窟らしきものは現れません。ただ、川を挟んでみる西山の蜂の巣城の壮観さに見とれるだけです。東山の石窟は、ゲートから緑の中をかなりきつい坂を上っていった山中に散在しています。禿山の岸壁に、所狭しと掘られた西山の石窟とは、ずいぶんと様子が違います。石仏の数も、一箇所に1~2体で、しいどい思いをして坂を上って行った割には報われません。

 川の東側には、東山の石窟の他にバス停に戻る途中に白居易が住んでいたという白園があります。園は高低差のある回遊式の庭園で、その中には白居易の墓もあります。

白居易というと、むしろ白楽天という呼び名のほうが知られているかもしれません。玄宗皇帝と楊貴妃のエピソードを歌った長恨歌で、平安文学の源氏物語や枕草子にも影響を与えたとされています。
 
 洛陽市街から龍門に行く途中に関林廟といって関羽の首を祭った廟があります。日本にもいくつかある、関帝廟の元締めのような感じもしますが、巨大で原色に塗られた関羽の像にびっくりします。日本でも、菅原道真など抹殺された人物が神とあがめられる事が多いのですが、関羽は、このようなケースの中国での代表格でしょうか。ITの分野では、失敗作は抹殺されておしまいの事が多いのですが、研究者の価値は、机の引き出しの中にしまわれている失敗データの数で決まる、とも言われています。失敗データを集めて、神棚でも作ってみますか。