世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

和蝋燭で栄えた町に、大正時代の芝居小屋が現役で残る、内子

2006-10-01 14:03:41 | 日本の町並み
 群馬県の小幡には、巨大な摩崖仏もありましたが、仏様というと線香と蝋燭を思い浮かべます。今回は、蝋燭の中でもハゼの実から蝋を作る和蝋燭作りで有名な、愛媛県の内子を紹介します。町内の高昌寺には石造りの巨大な涅槃仏がある点でもつながりがあるかもしれません。ちなみに、涅槃像は像が横に広がって安定するためか、国内外に比較的大きな像が多いように思います、なかでもタイのワットポーやアユタヤのものが巨大なことで有名です。

 内子町は、愛媛県の中央あたり、伊予と大洲を結ぶJR内子線が通る内陸の町です。かつての内子線は、大洲から内子までの盲腸線でしたが、北側の伊予まで延びて、予讃線のバイパス線のような役割を果たすようになりました。停車する列車も増えて、観光で訪れる時にも便利になりました。

 ハゼの実から作る木蝋の生産は、江戸時代中期から、和紙とともに大洲藩の経済を支えてきた重要な産業だったようですが、電灯の普及や価格の安いパラフィンによる蝋燭に押されて明治後期をピークに急速に廃れていったようです。それでも、ハゼから作る木蝋には、パラフィンには無い特徴があり今も現役で作り続けられています。

 町の中には、木蝋生産で財を成した上芳賀邸や町の繁栄に支えられた歌舞伎劇場の内子座など、内子駅から北東方向に伝統的な町並みが続いています。有名な観光地に共通することですが、町並みの中に不釣合いな土産物屋が割り込んできていて、ちょっとがっかりしますが、公開されている上芳賀邸や内子座の内部に入ると、外部の喧騒を忘れて、蝋燭作りで栄えた頃にタイムスリップするようです。

 内子座は、大正時代に作られましたが映画などの影響で衰退し、壊して駐車場に転用という計画もあったようです。しかし、現在でも県下唯一の芝居小屋として現役を保っています。できた頃の大正時代にも舞台照明は電灯になっていたでしょうが、江戸時代の芝居小屋の照明は、蝋燭や灯明が使われていたはずです。観客は薄暗い中で目を凝らして芝居見物をしたのでしょうか。歌舞伎の派手なメーキャップも、薄暗い中で目立つように、との意味合いがあったのかもしれません。内子のほの暗い芝居小屋の中で特産の蝋燭との組み合わせから、ふとそんなことを考えてみました。

 木蝋の原料になるハゼは、皮膚の弱い人はかぶれる恐れのある木です。ハゼの実とりは、かぶれることとの戦いでもあったようですが、赤ん坊のときに乳にハゼの根っこからとった汁を混ぜて飲ませたとの言い伝えもあります。将来、ハゼの実とりでかぶれないようにとの思いからだそうです。木蝋の原料として高価な実だけれど、取り扱いを誤ると害になる二面性を持っているわけですが、IT分野にも便利な道具がたくさんありますが、使い方を誤ったり、悪意のある使い方をされると、人を傷つけたり、経済損失を招くという、二面性を持つものが多いように思います。B面(裏面/悪い面)が出ないような技術対策だけでなく、扱う人間の倫理観も養う必要があるようです。