世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

岐阜県の山の中に大正時代が残っている明智

2005-10-05 16:36:04 | 日本の町並み
 明治時代に建てられた現役の小学校のある吹屋に対して、町の一郭に大正村が存在する町が岐阜県の東端にあります。JR中央西線の恵那駅から第三セクタの明智鉄道で40分間ほどの明智町がその町です。
 明治村はご存知のとおり犬山近くにある明治時代の建物を集めた屋外博物館です。明治を代表する帝国ホテルの正面玄関などがあり、京都の古いチンチン電車も走っています。しかし、明治村はあくまで博物館で、移築された資料としての建物が存在しそこに生活の臭いはありません。
 明智町の大正村は、大正ロマン漂う町並みに生身の人間が生活している現役の村なのです。大正時代に建てられた建物の一部は資料館として観光客用に公開され、これは博物館にはなっていますが、もとの現役の場所に存在しています。生活の場になっている民家の家並みもどこか大正を感じさせる雰囲気がただよっているようです。
 その名もずばりの大正路地は蔵の黒い板張りが続く比較的狭い路地で、石畳と組み合わさって絵になる風景を造っています。黒い板の部分は簡単に取り外しができ、取り外した跡に表れる土壁が火災から蔵を守るようになっているそうです。
 村には、矢がすりの着物や袴、それにブーツ、手提げ、パラソルまでもが貸衣装として用意されていて、自分自身をも大正時代にタイムスリップさせて村の中を散歩できるようになっています。もちろん、その姿で闊歩する景色が大正の雰囲気を増幅するのに役立つことを狙っているのでしょうが。
 村ですから村長も存在し、もちろん、名誉村長というところですが、初代の村長が高峰三枝子さん、二代目の現在は司葉子さんが務められています。村で行事のある時には、大正ロマンのあでやかな服装で来村されるようです。
 明智町は本能寺の変の明智光秀の生誕の地としても有名で、白鷹城址などの遺構も残されています。本能寺の変はなぜ起こったのか、光秀はなぜ主君を裏切ったのか。いろいろな説があるようですが、一つには信長と光秀との間でコミュニケーションがうまくいってなかったのではないでしょうか。メールや音声だけでなく、相手の顔をも見ながらコミュニケーションが簡単に取れる現在ならば、本能寺の変は起こってなかったかもしれません。