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世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

アクセスはかなり不便ですがメコン川の川幅いっぱいになって流れ落ちるコーン滝は不便さを押しても行くだけの価値がありそうです(ラオス)

2024-11-24 08:00:00 | 世界の町並み
 前回はラオス南部のパークセーからシーパンドンに至る道筋を紹介しましたが、今回はラオスとカンボジア国境近くにありメコン川いっぱいにかかる雄大なコーンパペン滝などを紹介します。

 メコン川は中国から5か国を流れてベトナムで海の注ぐ国際架線です。ラオス国内は南北に縦断する形で南下し、北は世界遺産のルアンアパバーンを通りビエンチャンではタイとの国境を形作っています。南端に近い都市のパークセーの市内を流れて、さらに南のシーパンドンで川幅いっぱいの滝になって、カンボジアに流れ下ります。川幅は雨期には14kmにもなり、川の中には4,000もの中の島ができメコン川はいく筋にも判れてコーン滝になります。コーン滝というのは多くの滝の総称ですが、滝の幅は世界一、流量は世界四位なのだそうです。

 
 
 数多くある島のうちデット島とコーン島との間には鉄道橋の遺構が残っています。戦前のフランス統治時代に敷設され戦後廃線になりましたが、線路は撤去されましたが、島を結ぶ唯一の道路として現在も使われています。ただ、この橋はもともと鉄道橋なので欄干などなくて渡るのはちょっと怖い気がします。近くにはこの路線で使われていた蒸気機関車がひっそりと保存されていました。


 

 

 コーン滝の中で大きな滝は右岸よりのソンパミットの滝と左岸にあるコーンパペンの滝で、コーンパペンの滝が最大の滝になります。シーパンドンの地形は4,000万年前の地殻変動で砂岩層が隆起し多くの断層ができたところにメコン川が流れ下ってできたのだそうです。この地形のために、これらの滝は一本の滝が一直線に落ちるのではなく、岩の裂け目の間を幾筋にも分かれて流れ下っているので、豪快さには掛けますが、東南アジアを代表するメコンの川幅いっぱいに流れ落ちるさまは、さすがに雄大な景色です。

 
 
 メコン川の対岸がカンボジアということもあって、西欧人はアンコールわったを見てから陸路と船でシーパンドンにやってくるようです。国境の検問がどのようになっているのか分かりませんでしたが、おそらく人手によって顔写真との照合やブラックリストのチェックをやっているのでないかと思います。マレーシアのムル国立公園の小さな空港では、一人の係官が対応していて、ずいぶんと待たされた記憶があります。わが国では顔認証が当たり前で、イミュグレーションで待たされることは無くなりました。以前は、事前に指紋を登録しておくと優先レーンで通過できましたが、これも過去のことになりました。指紋認証も顔認証も基本原理は同じだと思いますが、美容整形をした人はどの程度まで認識可能なのでしょうか。

小さなはしけで渡ったメコン川も面白かったのですが、シーパンドンのホテルの部屋から見るメコン川の朝焼けは格別でした(ラオス)

2024-10-27 08:00:00 | 世界の町並み
 前回はタイの最北端に近いチェンマイの町を紹介しました。このチェンマイはタイで第2の都市で、タイ国内からだけでなく関空から直行便も飛んでいる国際都市です。タイの北部で国境を接しているラオスからも空路がありますが、今回と次回に分けてチェンマイへの空路はありませんがラオスの最南端のシーパンドンを紹介します。

 シーパンドンはラオス野最南端で南側はカンボジアと国境を接しています。アクセスの拠点になるのは、北に160kmも離れたパークセーで、こちらにはラオスの国内便だけでなくベトナムのホーチミンやカンボジアのシェムリアップからの空路がありますが、国際空港と言ってもチェンマイ空港と比べるといかにも田舎の空港といった感じがします。シーパンドンにはパークセーの町からメコン川に沿って南下します。世界遺産のルアンパバーン、首都のビンチャンを流れれ来たメコン川がパークセーを通り、カンボジア国境との間に壮大な滝を形作っていますが、この滝については次回に紹介します。コロナの前は、パークセーから船中で2泊するクルーズ船が運行されていましたが、筆者は車による1泊2日のツアーで世界遺産のワットプーを組み合わせた現地ツアに乗っかりました。海のクルーズと違って揺れる心配がない川船に乗りたかったのですが、コロナによる観光客減少で無くなってしまいました。

 
 
 クルーズ船には乗れませんでしたが、行程の都合で橋のかかっていないところでメコン川を横断することになり、カーフェリーに乗船しました。この船はカーフェリーと書きましたが、ワゴン車が2台やっと乗れるほどのちいさな渡し舟で、かなり危険な乗り物だったのでしょうが面白い経験でした。小さな船を2台並べて板を渡して、その上に人間や車を乗せ、操舵室は小屋組みをした一段高いところにありました。

 
 
 
 川を渡った後は、行けども行けども田舎の一本道がシーパンドンまで続いています。途中に少数民族のクラス村があってts値よりをしました。高床式の住居の舌では、咲いた竹を加工して籠などが作られていました。また、観光客相手でしょうか、東南アジアなどでよく見かけるココヤシの実を和ってココナツジュースを売る光景も見られました。


 

 田舎道を走った後に着いたシーパンドンは町の様子が一変します。一大観光地で、リゾートホテル風のホテルも多くたっています。筆者が宿泊したのは、メコン川の西岸に面したホテルで、雄大なメコン川がよく見える部屋でした。夕食で外出の時に三田夕焼けは、町並みの上に少しの茜空でした、日の出前の朝焼けはすごかった。空もメコン川の川面も真っ赤に染まった景色が部屋の窓から眺められるのは、すごい贅沢な気分でした。

 朝焼けも夕焼けも、太陽の光が地表近くの長い距離を通ってくるときに、波長の長い赤い光が散乱を受けにくいために赤く見える現象です。雲があると湖の赤色を反映してさらに華やかな夕焼けや朝焼けになるのですが、シーパンドンの朝は快晴で雲一つありませんでした。しかし、雲の代わりにメコン川の川面が赤色を反映する役割を果たして豪華さを演出していました。この散乱を受けにくいという性質を利用して、遠くの山などの写真を撮るときに利用されたのが赤外線フィルムで、もちろん仕上がりはモノクロですが、遠くの景色がくっきりと撮れました。波長が長いということは散乱を受けにくい利点はあるのですが、小さなものを見分ける分解能においては、逆に波長が短いほど有利になります。電子顕微鏡やIC素子のパターン描写では光より波長の短い電子線が使われるのですが、朝焼けの写真を撮った撮像素子は電子線でパターン描写をして作られたものでしょうね。

チェンマイは城壁と環濠に囲まれた狭い町中に数多くのお寺がひしめいていて京都的でしたが人々の生活の活気にもあふれていました(タイ)

2024-09-29 08:00:00 | 世界の町並み
 前回はタイ北部のチェンマイの駅の周辺と民族舞踊の行われる文化センタを紹介しました。チェンマイは、かつてのラーンナータタイ王国の都が置かれた古都であることから、日本の京都のような趣のある町並みが広がっていて寺院も数多くあります。旧市街は城壁で囲まれていて、この旧市街にお寺も集中していますが城壁外にもいくつかのお寺があり、七大寺院の中から訪問した六ケ所の寺々を中心に紹介します。

 
 旧市街は15km四方で周りを城壁とその外には環濠がめぐらされています。アユタヤやスコタイの寺院群は、野原の中に散在していますが、チェンマイは現役の都市で、人々の生活の場になっていて、マーケットも活況を呈しています。旧市街の中のお寺は生活の場の中に溶け込んだ感じで、アユタヤなどが飛鳥的とすればチェンマイは京都的と言えるでしょうか。

 
 
 旧市街で最も格式の高い寺院は14世紀創建のワット・プラ・シンで、旧市街の中央やや西寄りに広大な境内を持つ寺院です。おくまった所に建つ礼拝堂は、白地に金色の装飾が華やかさと上品せのバランスの取れたファサードを持っていて美しい建物です。外観とは違って内部は赤を基調に金色をあしらった装飾で、こちらもなかなかきれいです。

 
 
 ワット・プラ・シンの東寄りに建つのがワット・チェーディー・ルアンで15世紀に建てられ、こちらも格式の高い寺院です。境内には、16世紀の地震で壊れるまでは高さが86mもあたという仏塔が20世紀末に一部が再建されて立っていて存在感があります。お堂の中にはバンコクのワット・ポーの仏像ほど巨大ではありませんが、巨大で存在感のある涅槃仏が横たわっています。

 
 
 旧市街の3番目はチェンマイで最も歴史の長い13世紀創建のワット・チェンマンで、旧市街の北東寄りに建っています。本堂には黄金色の巨大な仏像のほかに飴を降らせる力があるという水晶仏やインドかスリランカで昔作られたと思しき仏像が安置されています。本堂裏には、ワット・チェーディー・ルアン程の大きさはありませんが、石づくりの仏塔が崩れない姿で建っています。

 
 
 
 
 
 一方城壁外は、民家が少なくなり、風景はアユタヤなどに似て飛鳥敵になってきます。まず市街地から西へ2kmほど行ったところにあるのが14世紀創建のワット・ウモ-ンで、森の中にひっそりと建っています。お寺の手前には、かつて存在したお寺の遺跡も残っています。クータオというのはトンネルという意味で、お寺の正面は小高い基壇で、その壁にいくつかのトンネルの出入口があります。トンネルは内部でつながっていて、トンネル内には多くの仏像が安置され、静かな環境で瞑想がぢ切るようになっています。また、基壇の上には円錐型のかなり高い石塔も建てられています。

 
 
 
 ワット・クータオの手前にあり、空港に着陸する飛行機が上空を飛ぶのが14世紀に創建のワット・スアン・ドークです。こちらのお堂もワット・プラシンと同様に金色に装飾されたファサードと赤を基調とする内部装飾がありますが、安置されているのは黄金に佐賀役巨大な仏像で、存在感があります。存在感と言えば、境内にある数多くのチェーディーと呼ばれる遺骨を納める白い石塔も迫力があります。

 
 
 最後は、城壁の北にある16世紀に創建されたワット・タオで、旧市街ではありませんが周りには民家が民家が多くあって、郊外の2つの寺院とは趣が違います。個々のお寺の特徴は瓢箪型をした石塔で、他の石塔の天を突くような円錐形とはずいぶんと違って、徳利のようなおどけた雰囲気もします。ここでは、偶然にお葬式に会いましたが、聖者の行進のような陽気さではありませんが、あまり陰気で湿っぽい感じは受けませんでした。

 タイに行くとどの仏像も黄金色に輝いていて、くすんだ色の仏像を見慣れている日本人の目には異質に感じます。ただ、日本の仏像も、金銅仏の場合は塗金がされて黄金色に輝き、木造物も華やかな彩色がなされていた模様です。仏像に少しばかり残っている顔料などから創造当時の色合いを再現する試みがなされていますが、コンピュータによって描き出された仏像は全く印象の違うものです。現代の日本人は、仏像を美術的な目で見る人も、信仰の対象として見る人も、渋い色合いの仏像をよしとする傾向があるようですが、過去においては号かな色合いや黄金色は、他に無い希少価値としてありがたい存在だったのかもしれません。金が腐食に強くIT分野で欠かせない存在であるという理由でないことはたしかですが。

タイの第二の大都市チェンマイの鉄道駅は人の気配を感じませんが、文化センターで催されるは民族舞踊は華やかです(タイ)

2024-09-01 08:00:00 | 世界の町並み
 前回は、タイの北部を南北に走るタイ国鉄の北本線の中間駅になるピッサヌロークを紹介しました。この南本線は首都のバンコクから北に750kmほど伸びていて終点はチェンマイになります。特急列車で11~13時間かかりますから表定速度が70km/hくらいということになり単線が多く設備もよくない路線としてはまずまずの速度かもしれません。今回と次回に分けてタイ北部の古都チェンマイを紹介します。

 チェンマイは、13世紀にラーンナータイ王国の首都として建造された古都で、現在は人口27万人のタイ第二の都市です。旧市街は1.5km四方程の城壁に囲まれていて、タイ国鉄の駅は旧市街の門の一つ、東のターペ門から東へ3kmほど、空港は旧市街の南西隅から南西に2km程にあります。城壁の中には多くの寺院があって、これらについては次回に紹介することにして、今回は国鉄駅周辺や旧市街の南にあるオールドチェンマイ文化センタなどを紹介します。

 
 
 
 チェンマイの駅は、タイ国鉄の最北端の駅で、北へ100km程行くとミャンマー都の国境、東北に150kmほど行くとタイ、ミャンマーそしてラオスとの国境が交わるゴールデン・トライアングルと呼ばれる麻薬の産地です。チェンマイ駅には寝台特急が2本、ディーゼル特急が1本、急行が1本、快速が1本それにローカル列車が1本と、発着併せて一日に12本の列車が来るだけで、とんがり屋根の立派な駅の割には閑散としています。観光客は飛行機で、地域の人の移動は長距離バスが担っているのでしょうか。ベトナムのハノイの鉄道駅でも同じような光景でした。駅前の広場には、スイスから移籍して活躍し引退をした蒸気機関車が静態保存されています。

 
 
 
 
 
 
 
 オールドチェンマイ文化センタは、旧市街の南門のチェンマイ門から南西に1.5km、東門のターペ門からでも2.5km程にある北部タイの文化を紹介する観光施設です。この文化センタで夕方18:30からカントークと呼ばれるダイニングテーブル二並べられた食事を食べながら民族ブヨウショーを見られるのがカントークディナーショーです。\2,800/人くらいの料金に食べられないくらい盛りだくさんの食事もついているので、割安感があります。会場は、板張りの講堂のようなところで中央に舞台が作られ、舞台を取り囲むように観客席があります。椅子に座る席と、床にあぐらをかく席とがありましたが、筆者は椅子席を選びました。民族楽器の演奏から始まり、タイ北部の民族舞踊が繰り広げられます。踊りては、観客席の中の通路を通って舞台に上がり、優雅な踊りを見せてくれます。舞踏の間には剣舞もありました。チェンマイに行かれたら、お勧めのプログラムの一つです。

 民族舞踊のショーは、東南アジアのどちらでも開催されているようで、ラオスやインドネシアそしてカンボジアでもお目にかかりました。ただ、その違いが何か?と言われると、もひとつ判然としませんが、共通するのは指先まで表情豊かに七以下を表現しているところのように思います。東洋の踊りは指先、西洋は体全体で表現するともいわれますが、まさしくその通りのようです。同じことを指先と体全体とで表現するときの共通がどのあたりにあるのか興味のあるところですが、コンピュータ二よる相関分析で解析可能でしょうか。筆者の現役頃の分析は文字化された材料の分析だけでしたが、これだけ映像の処理技術が進んだ現在では可能なのかもしれません。

世界遺産のスコタイまでは距離がありアクセスは困難ですが、かつての王宮のあったピッサヌロークはタイ国鉄の駅ができるだけのことはあるようです(タイ)

2024-08-04 08:00:00 | 世界の町並み
 世界各地の夜景を紹介してきましたが、夜行列車の車窓から見る夜景も旅情を掻き立てるものがあります。それが、外国であればなおのことですが、最近に乗ったタイ国鉄の夜行列車の乗車駅であるタイ中部のピッサヌロークを紹介します。この夜行列車は、北部のチェンマイから首都のバンコクまで走るもので、筆者は深夜にピッサヌロークから乗車してバンコクに早朝に着く6時間ほどの旅でしたが、暑い地方の通例で、利きすぎた冷房のために、ほとんど眠られませんでした。0時過ぎの発車のために、市内の昼間の観光が終わった後に時間が余ってしまって、居場所もありません。そこで、駅に近いホテルを予約して半泊まりをしました。かなりの安宿だったようですが、シャワーを浴びて、宵寝ができる充分の使節は備えていました。

 
 
 ピッサヌロークは、タイ国鉄が通っていないタイ中部の世界遺産のスコタイへの列車でアクセスする場合の入口ですが、70km以上も離れていて個人旅行では移動が不便です。このピッサヌロークじたいは世界遺産の街ではありませんが、かつて都のあった大都会です。長距離列車も、ピッサヌロークで機関区が変わるらしくしばらく停車します。

 
 
 
 
 
 かつてのチャン王宮跡は駅から北北西に2km程のナーンン川の右岸にありますが、草むらの中のところどころに基石が残っているくらいです。王宮の歴史を知るには王宮跡に建てられたチャン王宮歴史センタがあり、かつての王宮の姿を見ることができます。歴史センタの奥にはナレスワン大王をお祭りする寺院があって、現役寺院として参詣の人を多く見かけます。この寺院の周りにはおびただしい鶏の像が置かれていておような光景なのですが、そのいわれはわかりませんでした。また、手前にはワット・ウィハーントーンという寺院跡があり、ミニ・スコタイの感じで、大きな仏像も残っています。ナーン川を駅の方向に行くと、国道と交差する手前にはこじんまりとしたラックムアンの社があります。

 
 
 
 国道にかかる橋を左岸に渡ると、ワット・プラシー・ラタナ・マハタートがあります。こちらは観光寺院でもあり現役の信仰寺院でもあるために境内は多くに人出ごった返していて、お祭りの雰囲気さえします。回廊が幾つもあって、多くの仏像がずらりと並んでいますが、本堂にはタイで最も美しいと評判のチナラート仏が鎮座しています。境内には45度以上もあると思われる階段で上る古都ができる部っとなどもあって、ちょっと遊園地気分になれます。

 
 国道を駅の方に向けて横切るとワット・ラチャプー・ラナがあります。大きな仏塔と転法輪の目立つお寺でした。こちらも、何か仏教儀式があったのか、多くの人が境内にあふれていました。

 
 
 ホテルから駅へは夜中の11時過ぎの町並みを歩きましたが、町並みのあちこちがライトアップされ危険は感じませんでした。

 ピッサヌロークは20年以上も前にパッケージツアーで訪れましたが、その時にワット・プラシー・ラタナ・マハタートだったと思うのですが、参詣者が金箔を買って仏像に張り付けているのを見ました。今回も園光景を見られると思いましたが、ピッサヌロークではお目にかかれず、バンコクで同じような参詣方法を目撃しました。タイで見かける仏像は、どれも金ぴかで、金色に輝いている仏さまがありがたい、といった文化のようです。我が国の仏像もかつては金箔で覆われ同じような輝きを持っていたと考えられていますが、重文や国宝に指定されている仏像の大部分は採食や箔押しは剝がれて、構成の補修でも補われておらず、文化の違いを感じます。金は電気伝導率がよくさびないので、電子回路の接点につかわれます。かつて、廃棄された携帯電話が数多く眠る東京は大きな金鉱山と言われたこともありました。仏像に張った金は電気の伝導性が良いので、お願いもよく伝わるのでしょうか。

日本では治安の良さから夜景を見に行くのに危険は感じませんが、国が違えばホテルの窓からしか眺められない都市もあるようです

2024-07-07 08:00:00 | 世界の町並み
 アジアとヨーロッパの夜景に続いて、今回は最終回として北アメリカ、オセアニアそしてアフリカの夜景を紹介します。前回までと同様に、訪問してかつ夜景にお目にかかった都市のみで、けして網羅的なものではありません。

 
 北米からはカナダが3都市とハワイの夜景です。カナダの最初は、東寄りの世界遺産の都市ケベックの夜景です。河岸段丘から臨んだ町並みと、その向こうを流れるセント・ローレンス川そしてケベックのランドマーク的ホテルのシャトー・フロンテナックです。

 
 少し西に行って次はナイアガラ滝の夜景です、幸運にもホテルの窓から眺めることができました。

 
 最後は、世界自然遺産のカナディアンロッキーのバンフの夜景は絵本に出てくるようにかわいらしさがありました。

 
 北米大陸ではありませんが、ハワイの夜景はフラショーです。

 
 オセアニアからはオーストラリアのシドニーです。

 
 アフリカ大陸はチュニジアの4か所で、最初は首都のチュニスですが、ヨーロッパの都市と見まがうきれいさです。

 
 2番目はチュニジア中央の海岸に面したスファックスで、ちょっと南国風になります。


 3番目は、南部のリゾート・アイランドのジェルバ島で、ヨーロッパからの観光客であふれているホテルの夜景です。

 
 最後はスファックスの北に位置する世界遺産の円形闘技場のエルジェムと、ホテルで行われていた結婚披露宴の様子、イスラム世界では、新郎側の出席者は男性ばかり、新婦側のパーティーがあるのかどうかは不明でした。

 スファックを訪問したのは20年ほど前で、インターネットは普及しつつありましたが、スマホはまだ出回っていませんでした。このスファックスで、父の具合が悪いとのFAXを受け取り、あわてて国際電話を掛けた記憶があります。スファックスでファックスとしゃれみたいですが、電話の内容からは大事にはならなりませんでした。スマホの普及で、よほどの辺鄙な山奥にでも行かない限り、連絡がつくようになって安心ですが、現役の人の場合は、海外まで仕事の話が飛んで来て、気が休まらない問題もあるようです。ただ、このような風習は、どうも日本独特のようで、休日でも自宅に仕事の話で連絡が入るのは日本以外では考えにくいのだそうです。

ヨーロッパの夜景は、石づくりの建物が暖かい感じのオレンジ色に浮かぶ景色が多いようですが、北欧の白い雪景色の中にでの暖かい光はさらに格別です

2024-06-09 08:00:00 | 世界の町並み
 夜景の2回目はヨーロッパ編です。アジアと同様に消して網羅的ではなく、筆者が出会った夜景のみで、3大夜景のナポリやモナコは残念ながら含まれていません。ただ、どこの場所も特徴的な風景が楽しめる夜景でした。北ヨーロッパから順に南下して紹介しましょう。

 
 最北の都市はノルウェーのトロムソです。オーロラを見に行ったのですが、3泊しても位置にちょも晴れなくって、オーロラは見損ねました。写真は薄暮の頃の町の様子とホテルの様子ですが、絵本に出てくるようなかわいらしい町並みでした。

 
 北欧からもう一か国、デンマークの首都のコペンハーゲンの市庁舎前広場の夜景です。

 
 海を渡ってドイツを通り越しベルギーの首都ブルッセルの世界遺産に登録されているグランプラスの広場の夜景は豪華でした。カメラのフィルムが残ってないことに気が付いて、慌てて現地調達をして撮影した景色です。有名な小便小僧がグランプラスのすぐそばに板のが意外でした。


  
 旧東欧圏からは3か国、ハンガリーの首都のブダ・ペストの夜景はくさり橋と国会議事堂です。この夜景を見に行った時には、ガイドブックに注意書きがあったのと同じシナリオで窃盗に会いそうになりました。「ポリス!ぽりす!」といって近づきパスポートを見せろと言って金品を盗み取る輩です。

 
 次の国は、かつてのユーゴスラビアを構成していた国の一つのクロアチアの世界遺産の都市であるスプリトです。みなとのそばに城壁が伸びて、現役で使われて明るく輝いていました。

 
 旧東欧圏の最後はルーマニアです。首都のブカレストから列車で北に小高い丘の上にある世界遺産の町のシギショアラです。吸血鬼の伝説もある町ですが、小説のモデルとなった城は別の町にあるブラン城ですが、シギショアラには、ドラキュラのモデルとなったツェペシュの生家が残りドラキュラ料理が名物となっています。

 
 フランスは4か所もあります。パリではオルセ美術館とエッフェル塔です。エッフェル塔の写真は塔が建ってから百年の年で1989年、1889年に開催されたパリ万博で建てられたのがエッフェル塔で、最初は悪評さくさくでしたが百年後の現在ではパリの風景とに欠かせないものになりました。


 パリからTGVで南に、ディジョンの夜景は旧ブルゴーニュ公宮殿の夜景です。


 旧ブルゴーニュ公宮殿と同様に横に広がった建物の夜景が素晴らしいのがボルドーのブルス広場で、ここでは世界一の広さを誇る水鏡が景色をもりあげます。この水鏡は広さは世界一ですが、推進派わずか2cmだそうで、少ない水の量で大きな効果を得ているように思います。


 夜景になるまで待つのが大変だったのがカルカソンヌのお城でした。経度ではロンドンと変わらないほど西で、さらに夏時間ですからなかなか」暗くなりません。たしか、午後10時頃になってやっと薄暗くなって見切り札駅でした。

 
 ヨーロッパの西端のポルトガルの中でさらに西の端で、ユーラシア大陸の西の端というのがうたい文句のロカ岬が大西洋に断崖で落ち込んでいます。このろ過岬への観光拠点の人タウが、岬の南東に位置するカスカイスで、リスボンからジェロニモス修道院などを見た後に肝がん沿いに西に行ったリゾート地です。

 
 最後はイタリアの宗教都市のアッシジです。世界遺産の境界は地震で壊滅的な被害を受けたようですが、訪れた時には修復が終わっていました。

 カルカソンヌの夜景を見るために、あたりが暗くなるのを待つのが大変でしたが、スペインはもっと西にあるにも関わらずフランスと同様にヨーロッパ標準時ですから、夏の日没はもっと遅くなります。ただ、そこはよくしたもので、スペインでもポルトガルでも、食事の時間は日本人の常識から3時間以上も遅くなっています。これで、あくる日の朝から仕事になるのか疑問に思います。標準時を決めているのは、本来は地球の自転周期で、とんでもない時間に太陽が出て来ないようになっていますが、この自転周期というのはかなりふらつくので、現在ではセシュウム発信機を心臓部に持つ原子時計が世界標準時を刻んでいます。自転がふらついて、日の出時刻がおかしくならないように、地球の自転との差をうるう秒の挿入で補正してきましたが、これをやると、色々なIT機器の調整が大変で、今後はうるう秒の挿入は中止するようです。

不要な景色が闇に消えてライトアップされた部分だけが際立つ夜景は、どこの都市でも美しい風景のひとつです

2024-05-12 08:00:00 | 世界の町並み
 前回は各国の朝焼けと夕焼けとを紹介しました。どちらの風景も空の様子だけでなく周りの景色に縁どられて、その地域でしか見られない朝焼けや夕焼けとなっているようです。夕焼から朝焼けの間には夜景が存在しますが、これは地上の建物などが照明二照らされて、自然が作る美しさとは違った輝きを放ちます。今回はアジアを中心に、次回はヨーロッパそして次々回はそれ以外の地域の夜景を紹介します。

 
 世界三大夜景は香港、函館、ナポリ、そして新世界三大夜景は香港、長崎、モナコとどちらにも入っているのが香港の夜景です。これらの夜景に共通するのは、ヤカノ上から海を入れた夜景が見られる点でしょうか。写真は45年ほど前で中国返還以前のもので、かなり退色して閉まっています。


 
 同じ中国で、海ならぬ川に夜景が映り込んで美しいのが天津です。

 
 中国でも内陸の世界遺産の城郭都市の平遥は、楼閣のライトアップとランタンがきれいです。
 
 同じく世界遺産の西湖は湖水に写る夜景ですが、ちょっと地味ですね。

 
 同じように湖水にライトアップされた建物が写る広州の夜景の方が美しいですね。

 
 かつての都の西安(長安)の夜景は、交差点の中央で輝いている鐘楼と鼓楼です。

 
 お隣韓国の大邱では、お祭りは夜に入って広場での仮面劇がライトに浮かび上がります。


 ベトナムでは、世界遺産のフエの王宮の門がライトアップされます。

 
 首都のハノイではホアンキアム湖に浮かぶ三重の楼閣があるかと思うと百貨店の派手なディスプレイに驚かされます。

 
 クリスマス前夜のホーチミン市では道路いっぱいにイルミネーションが飾られてびっくりしますが、人民医委員会庁舎のライトアップはアジアにいることを忘れます。

 
 メコン川の河口に近いカントーの夜景は、お寺と川に映り込んだイルミネーションです。

 
 ベトナムのお隣のラオスの世界遺産の古都であるルアンパバーンは夜市で有名ですが、夜市に行くついでに見られるのがお寺やコロニアル・ホテルのライトアップです。

 
 シンガポールの夜景は、泊まったホテルのもので、アジアには少ない派手さがあるように思います。

 
 シンガポールのお隣のマレーシアの世界遺産の古都であるマラッカでは、年末であった正でしょうか交差点の上に竜が待っていました。世界遺産の教会はファサードをライトアップされて静まっていました。

 
 首都のクアラルンプールでは、海の産物のエビと陸の産物のドリアンが露店の店先でライトに照らされて自己主張をしていました。

 
 マレーシアのボルネオ島にある世界遺産のムル二あるリゾートホテルの夜景でしめくくりです。

 筆者の故郷の神戸では六甲山から見える夜景を百万ドルの夜景と言いました。NHKがTV放送を始めた1953年に生まれた言葉で、その後は観光地のあちこちで使われるようになりました。六甲山から見える神戸の電灯の1か月の利用料が100万ドル(当時のレートで3.6億円)程度であったという説が有力ですが、その度は電灯の数が増え電気料金も上がったことから一千万ドルの夜景と言い直されています。言葉が生まれたころの電灯は白熱電灯でしたが、やがて蛍光灯を経て現在ではLEDライトに置き換わっています。また、円とドルとのレートも変わっていますから、現在の神戸の夜景は果たして何ドルくらいなのでしょうか。

夕焼けは明日が晴れ、朝焼けは天気が下り坂と言われますが、どちらも自然が作るカラフルなショーです

2024-04-14 08:00:00 | 世界の町並み
 前回は各地で開かれる青空市を紹介しましたが、今回は各地の青空になる前の朝焼けと、青空の後の夕焼けを紹介しましょう。アジア→ヨーロッパ→アフリカ→オセアニア→アメリカの順です。


  
 中国からは、世界遺産の西湖に沈む夕日れと蘇州の灯りがともりだした夕暮れです。


 
 ベトナムでは、世界遺産のフエと南端のフーコック島の夕日で日中の暑さが和らいだころです。

 

 
 インドネシアからは、世界遺産のボルブドゥールの朝日と夕日を、バリ島では海に沈む夕日です。

 

 マレーシアではボルネオ島のコタキナバルの市場から海に沈む夕日で、こちらも少し暑さが和らいだころです。世界遺産のペナンでは喧騒が始まる前の朝焼けです。


 

 ラオスでは、カンボジア国境に近いシーパンドンでメコン川から昇る朝日と、シーパンドンへの基地となるパークセーの夕日を、世界遺産の街のルアンパバーンではプーシーの丘からの夕日です。


 カンボジアでは、国旗にもなっている世界遺産のあんこーるわっとの日の出です。

 
 北欧のフィンランドの東北部にある数多くの湖に白夜でなかなか沈まない夕日はコリでの風景。

 
 フランス南西部の世界遺産のカルカソンヌではなかなか日が沈まなくて夕焼けを撮るのに苦労しました。


 アフリカの地中海沿岸の国、チュニジアでは砂漠のオアシスのクサールギレンで砂漠に沈む夕日がきれいでした。

 

 オーストラリアでは、世界遺産のグレートバリアリーフの海から昇る朝日と、やはり世界遺産のシドニーのオペラハウスに沈む夕日です。

 
 カナダの世界遺産のバンフで見た夕日は空一面にピンク色の雲が広がっていました。

 
 おまけで、わが国の明石架橋の夕焼けです。

 夕日や朝日は昼間の太陽よりも大きく見えます。また太陽だけでなく月も地平線近くでは大きく見えます。これは錯覚のせいで、実際には大きさは変わりません。ただ、月の場合は地球との距離が変化shじ、時期によって見える大きさが変わりますが、1日の中で大きさが変わるというものではありません。この錯覚を起こす理由は諸説があって定まりませんが。地平線近くには山や町並みなど太陽の大きさと比較できるものがあるために大きく見えるという説や、人間の認識している空というのは、半球ではなく上下に扁平な卵型になっているそうで、太陽までの距離は天頂より地平線にあるときのほうが遠いはずなので、見かけの大きさは小さいはずが同じなので相対的に大きく感じるという説などです。デジカメなどで撮影すると、昼間の太陽や月も夕日などと同じでしょうが、人間の目と頭脳には錯覚があるから面白いのかもしれません。

国が違えば青空市に並ぶものも多彩ですが、やはり果物や野菜など生鮮食料品が多いようです

2024-03-17 08:00:00 | 世界の町並み
 いろいろな夜店が集合して、観光客でごった返すのがシンガポールなどの夜市でした。夜市は、台湾の台北や台南、マレーシアのコタキナバル、ベトナムのカントーなどなど、アジア圏に多く見られるように思います。一方、昼間に露店で店が開かれる青空市場は、アジア圏でも気かけますが、欧米に多いように思います。生鮮食料品は、スーパーで買うのではなく青空市場が流通拠点になっているのではないかとも思いますし、物価の高い国であっても我が国と比べて驚くほど安く売られているようです。今回は、写真に残っている青空市を順不同に紹介します。

 まずは、夜市が多いアジア圏です。アジア圏では、野菜や果物だけでなく肉や海産物なども多く売られているようです。

 
 香港では、半ばさばかれた肉が肉がぶら下がっていたり、豚の頭が転がっているのも見ました。店頭でさばいているのはスッポンのようですが、実物をチェックする中国の人の風習でしょうか。

 
 マカオでも、店頭で作ったり切り分けたりしていました、香港に近いので似ています。

 
 ベトナムは、南部に近いカントーでは夜市も盛んなのですが、どちらかというと観光客向けで、市民の台所は朝市で数多くの店とお客でひしめいていました。メコン川で採れた海産物と南国の果物が目立ちます。

 次にアフリカのチュニジアでの風景です。

 
 首都のチュニスでは、青空市場というより通常の市場に近いのですが、体育館のようなところに露店風に雑然と果物屋野菜が並んでいます。色々な豆が麻袋に入れられて並んでいる店もありました。

 
 南部の砂漠地帯のタタウィンでは、半ば観光客用もあるのでしょうか、砂漠のバラと呼ばれる塩の結晶や、遠くから見ると絵の具のパレットかと思うような香辛料らしきものなどがありました。

 美食にのフランスですが、パリの青空市は多彩な商品で有名で、骨董や古書、映画シャレードのシーンに出てくる切手など。
冬のパリでお目にかかったのは青空ならぬ灰色の空の下の花のお店でした。



 
 
 フランスは芸術の国だけでなく農産物の生産量が大きな国の一つです。南部に行くと、青空市場という集合体でなく移動販売で新鮮な果物が安く手に入ります。プロバンスの有名な朝市では、色とりどりの果物や、野菜などの農産物に混じってフランスパンも売られていましたし、古着らしい服もたくさんぶら下がっていました。

 
 ヨーロッパの南部のクロアチアのスプリトでも農産物と服が売られていました。こちらは、世界遺産の城壁に寄りかかるように店屋が並んでいます。

 
 イベリア半島のポルトがの第二の都市のポルトでは、東洋で見かけるようなシーンにびっくりしました。子犬や鳥が売られている様子です。愛玩用だと思いますが、鳥の一部は食用でしょうか。

 
 ドイツには初夏に行きましたが、マインツで売られていたのはアスパラガスで、この時期の美味を代表する食材で、レストランにも季節のメニューとして並びます。

 
 ドイツのお隣のルクセンブルグでは、香辛野菜が多く並べられ、お隣には花もあったようにも思います。細長く茶色の野菜は玉ねぎのようですが、一見すると水仙の球根?水仙だと毒草のはずです。

 
 北欧のフィンランドの西部にある世界遺産の町のラウマでは、訪れたのが初夏だったせいか青空の下に花でいっぱいでした。もちろん野菜などもたくさんあって、天気が良くって気持ちの良い風景でした。

 日本の野菜や果物は石油の塊だって言われることがあります。季節外れのものを高く売るために、ビニールハウスを作り石油などで暖房をして無理やりに寒い時期に暖かい季節のものを出荷しようとしています。ビニールハウスのビニールは当然に石油製品ですから、暖房の石油と合わせて石油の塊を高い金を出して食べさせられているわけです。イチゴなんぞは、本来の初夏の頃にはあまり見かけず、お正月前後にどっと出回ります。資源のない国で、こんな不自然って、おかしいとは思いませんか。フランスでは、あまりビニールハウスを見かけませんでしたし、他の物価の高さとは逆に、野菜や果物は、どこかの国に比べて驚く安さです、自然に逆らわない栽培だからではないでしょうか。