シャツのほころび涙のかけら

昔よく聞いたNSPのタイトルを拝借。…趣味や日常を綴っています。基本はガンバレ自分!時々覗いてみてください。

「ふるさと歩道」その1

2009-02-15 | お出かけ

昨日の遠チャリ。家から駅の西口に行き、そこから荒川方面に向かっていく。最初に立ち寄る先は「川の大じめ」。案内図では鴨川という川幅の狭い川を越して、大通りから少し右に入った所のようだが、幾つかの筋を入ったけど無い。川の支流?も無い。通りに戻って考えていたら、脇に指導標があり…ココだった。

川の大じめ:今も残る民間信仰の一つで(フセギと呼ばれる)、高さ3mほどの2本の柱に、太いワラのシメを掛け、村(十数軒の旧川村)に悪疫や災いが入り込むのを防ぐために作られている。その昔、村へ入る道は一本しかなく、今もその入口に立っている。

今も伝承されていることにプチビックリ。それにしても、川って地名だったのね…。次に「十連寺」に向かう。ここも分りにくかったが、大きい屋根が見えたので、それを目がけて行った。
思っていたより立派なお寺だった。門をくぐると、歩道の右側には大きな鐘楼や八角堂?があり、その先に本堂と思われる鉄筋コンクリートの建物がある。


十連寺(じゅうれんじ):浄土宗の寺院。縁起によると、応永元年(1394)に念誉上人によって開かれた。小庵で正式名は無かったところに、鷹狩りの途中で立ち寄った徳川家康が、堂の軒先に菜が十連ばかり掛け干されているのを見て、『干菜山光明院十連寺』と名付けたという。「十連寺板石塔婆」などが市指定文化財となっている。柴田七九郎父子の墓もある。

家康さんのおかげで、三つ葉葵の紋を使用できているとか!?


板石塔婆は墓地の一角にあった。名の通り厚さ3cmくらいの薄い板状の石(大きいもので高さ120㎝、幅35㎝位。)変わった模様と梵字が刻んであった。

次は「小林寺」だ。コースを見た時から(理由は書かないけど)ちょっと気になっていた。この辺りまでくるとけっこう畑なども多い。場所は道路沿いの標柱で分った。石門の先の境内は狭かった。本堂も墓地もこじんまりしていた。土曜日だから?十連寺もココも誰も見かけない。

小林寺(しょうりんじ):興旧山貞松院と号する浄土宗の寺院。天文年中(1532~55年)に感誉上人により創設された。市指定文化財になっている銅像の阿弥陀如来と両脇侍立像がある。小林寺は、旧村名を寺名に冠した、この地域では唯一の寺である。広域な村の存在がうかわがわれる。

コースでは次に、武蔵野の雑木林を生かし、池・滝・広場などが造られている大きな公園に行くのだが、ここは良く知っているので…寄らない。(グループのハイキングでは、この公園で昼食にするのかもね。)ここから、コースを外れて「三ツ又沼ビオトープ」に行き(別に書こう)、また戻って次の「畔吉河岸跡」に向かう。

コースからそれたので、なかなか見つからない。洗車しているオッチャンに聞く。削りだしたような狭い道路を下っていくとサイクリングロードに行き当たり、そこに案内板があった。

安堵したら、臭いが気になる。振り返ったら・・・牛がいた!気持ちよさそうだ(暖かいもんね~、まどろむね~)。

畔吉河岸跡(案内板では「畔吉の渡場跡」):幕末の頃、荒川の舟運は最も栄え、河岸場は20ヶ所余りもあったという。高崎線の開通により衰退していくが、大正末期まで続いた渡しである。

で~も、河岸跡とはあるが、跡は見当たらない。その先の荒川の岸辺まで行ったけど、それらしいものは無い。あんだよ~!よく分らないまま、次の「殿山古墳」に向かう。

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