5月31日~6月1日と出張だった。滋賀県高島市から京都府舞鶴市~綾部市などに行ってきて、宿泊は舞鶴市。舞鶴市の市街は大きく二つに分かれており、軍港から発展した東舞鶴と、田辺藩の城下町・商港から発展した西舞鶴から成る。
3月の出張の時は、宿泊先が東舞鶴の港の畔だったが、今回は西舞鶴駅の近く。
6月1日の朝、少し時間にゆとりがあったので散歩に出かけた。
6月1日の朝、少し時間にゆとりがあったので散歩に出かけた。
駅前近くで大きな「新世界商店街」の看板。前夜見た時は内側からの照明で目立っていた。新世界ってどんな世界?この命名って?気になったので後で調べてみたら、大きく繁栄するようにと、大阪通天閣の商店街にある「新世界商店街」の名をいただいたという。
舞鶴はかまぼこの街?なのかな。
舞鶴はかまぼこの街?なのかな。
しばらく官庁街を進むと『田辺城跡(舞鶴公園)』があり、平成4年に再建された城門が出迎える。
城門の内側。(他は、広場や庭園)
石田三成方が大軍で攻め込み、関ヶ原の合戦の前哨戦になった舞台として有名(?)らしい。現在では、公園として敷地の一部が残されているものの、当時を偲ぶものは無い。
舞鶴市の名前の由来は、この田辺城が別名「舞鶴(ぶかく)城」と呼ばれていたことから名付けられたという説がある。
舞鶴市の名前の由来は、この田辺城が別名「舞鶴(ぶかく)城」と呼ばれていたことから名付けられたという説がある。
田辺城址のはす向かいを見ると、昔ながらの長い塀の中にRC造の建物が。何かと思ったら『明倫小学校』だった。
正門は江戸時代の藩校「明倫館」のものを移築したもの。城は残らなかったが学校は一部残ったようだ。
正門は江戸時代の藩校「明倫館」のものを移築したもの。城は残らなかったが学校は一部残ったようだ。
ここで戻ろうと思ったが、近くにお寺があると聞いていたのでとりあえず行ってみることにした。
高野川という鯉の泳ぐ川を渡る。水面が近い。
桂林寺(けいりんじ)は、丹後有数の歴史を誇る曹洞宗中本山の禅寺。入母屋造の山門は1717年(享保2年)建立。(市内最大とされる)
見上げる石段が辛そうだが、ゆっくりする時間はないのでカツカツ上ったら、汗が吹き出た。どっしりした本堂に、竜宮門?と異文化コミュニケーションだ。
朝代神社(あさしろじんじゃ)は、西暦673年に創建し以来、舞鶴の歴史を見守ってきた。
鳥居をくぐって直ぐ左に参道がのび、突き当りを右に折れて石段を登ったところに社殿がある。現在の社殿(市指定文化財)は大火焼失後の元文9年(1739年)の再建。
他にも、本行寺(ほんぎょうじ)や円隆寺(えんりゅうじ)などがあった。
中に入りたいけど長そうな石段はあるし集合時間が迫っているので、正面確認のみでスタスタ歩く。
おかげで間に合った。けど汗だくになった。