シャツのほころび涙のかけら

昔よく聞いたNSPのタイトルを拝借。…趣味や日常を綴っています。基本はガンバレ自分!時々覗いてみてください。

岩殿観音/坂東三十三観音

2016-06-08 | お出かけ

(つづき)靴の応急処置を経て、物見山を上るが、あっけなく山頂に着いた。山麓一帯は物見山公園として整備されていて、面積の割に遊歩道がやたら多い。下の方にはカエデなど広葉樹が茂り、上の方には松も見られる。ツツジの名所でもあるようだ。
次に、そこから下って岩殿観音に行く。7年振りだ。

通称「岩殿観音」、山号「巌殿山」、坂東三十三観音の十番札所、寺号「正法寺(しょうぼうじ)」。縁起によると観音堂は717~724年の創立だという。千手観音が祭られ、鎌倉時代に坂東十番の札所(ふだしょ)となった。

物見山から降りてくると観音堂の横に出て、そこからさらに下って参道の入り口になる。なので、実際の順路とは逆だが、参道からの体で記録しておく。(境内見取図参照)


参道から仁王門に上がるところ。門前の家々には屋号が大きく掲げられていた。


門の上には「巌殿山」と「施無畏」の扁額がかかる。


左右には仁王様。修復?お色直し?キレイだった。


仁王門からは、さらに石段を上る。左右のアジサイが咲きはじめていた。時季には趣きのある光景になりそうだ。


石段途中にある高札。戦国時代の高札を復刻したもので、岩殿山一帯の木や草を刈り取ることを禁じたお知らせ板。今も昔もそのような輩がいるようだ。


石段途中から仁王門を見ると、古の門前市の雰囲気が頭に浮かびそうな光景。


↑の門の右側屋根にかかっている白い花をつけた木はヤマボウシだった。上からのぞき見るとこんな感じ。立派。


石段を登り左前に進むと、正面に観音堂。


岩山を切り崩したような場所にある。まさに“岩殿”。


正面右側の岩面には、岩を削って石仏が収められている=「日本百観音石仏」


そして観音堂の正面左側には根周り約11mの大イチョウが屹立する(※後日、別ブログで取り上げる予定)。↓画は左側奥の方から振り返った感じ。


大イチョウを熱心にスケッチしている方が二人おられた。この木ならでは?か。
この後、また坂道を上って、物見山の麓の方へ行き埼玉ピースミュージアムに戻る。(つづく)


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ところで、『坂東三十三観音』は、都幾川村にも別の札所があって行ったことがあるのだが、そもそも・・・あまり分かってない。なのでカチャってみた。

なんでも、西国三十三観音巡礼の信仰が坂東に及び、やがて札所が形成された契機は、鎌倉幕府の成立と将軍家の深い観音信仰にあったといわれている。頼朝の時にその気運が起こり、実朝のときに機が熟して制定されたのではないかという。

なので、坂東札所の第一番が鎌倉の杉本寺で、神奈川県内で第八番まで、第九番から第十二番までは埼玉県になり、第十三番が東京唯一の浅草寺・・・、と鎌倉居住者に巡拝の経路が好都合になっている。

神奈川県:9ヶ寺、埼玉県…4ヶ寺、東京都:1ヶ寺、群馬県:2ヶ寺、栃木県:4ヶ寺、茨城県:6ヶ寺、千葉県:7ヶ寺。

詳しくは、坂東三十三観音 公式サイト http://www.bandou.gr.jp/

 

コメント (6)
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