草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

批判を許さないのは本当の保守ではない

2023年10月24日 | 思想家
 日本保守党の政策上の矛盾点を指摘すると、集団で血祭りにあげるというのは異常である。それをネットで見るにつけ、これでは船出してすぐに難破するのでは、と危惧してしまう。この私ですら、自民党よりもまともな保守政党の出現を待望しているからだ。それだけに残念でならない。
 LGBT法の成立を根拠にしながら、それに賛成しなかった勢力と組むことに対して、異論を述べることは、一つの識見であり、寄ってたかって攻撃するというのはよくない。
 しかも、百田氏や有本氏の信徒のような口ぶりには付いて行けない。批判者に反論するにあたっても、品性のない物言いは避けなければならず、最低限の常識とルールが求められるのではないだろうか。
 ハンナ・アレントは「大衆がひたすら現実を逃れ矛盾のない虚構の世界に憑かれたように求めるのは、アナーキックな偶然が壊滅的な破局の形で支配するようになったこの世界にいたたまれなくなった彼らの故郷喪失の故である」(『全体主義の起源3』大久保和郎、大島かおり訳)と書いている。
 現代人の病というのは、アトム化され分断された個人が、拠り所を失ってしまい、わけもなく「矛盾のない虚構の世界に憑かれ」てしまうことなのである。このことについては右左の区別はない。どちらにせよ問答無用ということになるのだ。
 アレントが「ヒットラーが『無条件の尊敬』を捧げたのは『天才スターリン』に対してだけであった」(『同』)と述べたのは真実なのである。嘘が本当になってしまう、プロパガンダの有効性を二人とも知っていたからだ。
 保守主義とは常識を重んじるという一言に尽きる。陰謀論に与することがあってはならない。これまでの保守政党は、様々な団体によって構成されていた。それぞれの人間に足場があったのである。しかし、グローバリズムによって、それは拠り所の意味をなさなくなってきた。それだけになおさら、妄想に振り回されることなく、私たちは常識について考え、自らの五感を信じなくてはならないのである。
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