草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

日本の国柄を破壊する左右の全体主義は容認できない

2023年10月03日 | 祖国日本を救う運動
 真の保守は左右の全体主義に抗する力を持たなければならない。皇室を認めない左翼は問題外であるが、いかに保守を名乗っても、騒動師のような言説を振り撒き、オオカミ少年のようなことをする者たちに対しては、警戒を怠ってはならないのである。
 保守を自称しながらポピュリズムの旗を掲をげるのは、左翼同様の全体主義者の手口である。デモクラシーは民衆の支配であり、一歩誤れば全体主義に転じるのである。
 ネット上の一部にはびこっている過激な言論もその類である。ハンナ・アレントは「大衆は目に見える世界の現実を信じず。自分たちのコントロールの可能な経験を頼りとせず、自分の五感を信用していない。それ故に彼らは或る種の想像力が発達していて、いかにも宇宙的な意味と首尾一貫性を持つように見えるものならなんでも動かされる」(『全体主義の起源』1,2,3 大久保和郎・大島通義、大島かおり訳)と書いている。
 事実が大衆を説得できなくなれば、常識が通用しなければ、全体主義のプロパガンダが人々の心を支配するようになる。しかも全体主義の教義は事実によって反証されことなく虚構の世界を拡大していく。このために利用されるのが、組織内部での緊張感を高めるための印象操作である。ネット社会にあっては、驚くようなことを日々発信続け、それによって大衆を引き付けるのである。
 それでいて、少しでも異論をとなるような者は切り捨てられるし、とんでもないことを口にしても、許されると高を括っているのである。中身がないのにあるように見せかけて、日本の国柄を破壊する者たちを断固排除しなくてはならない。サーカスと劇場の政治と無縁なのが保守である。あくまでも保守は冷静さを保たなくてはならないのである。
 
 
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