草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

葦津珍彦の大東亜戦争観は正論だ

2023年10月02日 | 思想家
 先の戦争について語ろうとするならば、それは大東亜共栄圏の精神をどう評価するかである。 あまりにも戦後日本において、それを否定する意見が横行したがゆえに、葦津珍彦はあえてプラスの面を口にせざるを得なかった。
 インドのネールが戦後に日本を訪問した際に、真っ先に招待したのが頭山満の弟子の葛生能久(くずうよしひさ)とアジア主義者の大川周明の二人であった。米・英・ソ連によって右翼の軍国主義者として巣鴨プリゾンに投獄された人間である。
 しかし、ネールは敬意を表した。インドの独立党員チャンドラ・ボースやビハリ・ボースを保護したからである。いうまでもなく、大東亜戦争ではチャンドラ・ボースもビバリ・ボースも日本軍に協力した。日本が果たした解放者としての側面を、ネールは認識していたのである。
 葦津珍彦は「これは大川・葛生のみのことではない。日本の忠勇なる将兵の中には、天皇の兵として、東洋解放のために戦うのだという精神があった。その道義的精神こそが、あの神風特攻隊に象徴されるような清冽なる武勇の源泉たりえたのである。強欲なる征服主義も、時には猛勇を生み出すことはある。しかし神風の武勇は、それとは全く質を異にする。それは自己犠牲の、聖なるものへの奉仕の精神のみが生み得る勇気である。東洋解放の精神は生きていた」(『近代民主主義の終末』)と書いている。
 もちろん、葦津とても日本が全面的には正しかったとは言っていない。日本人に侵略的植民地主義がなかったというのは、牽強付会(けんきょうふかい)な暴論であるからだ。
 葦津は「そこには清くして高きものと、濁りて低きものとが相錯綜し、激突しながら流れて行った。その濁れるもののみを指摘して、清流を否定する」(『同』)ことを批判したのだ。あくまでも日本を悪者として一刀両断にする言論への異議申し立てであった。
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