草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

村本太輔の暴論はソクラテスの「無知の知」にはあらず!

2018年01月07日 | 思想家

村本大輔はソクラテスのように「無知の知」を装っているが、単なる暴論でしかなく、一般的な教養がないことを暴露しただけなのである。田中美知太郎は『ソクラテス』において、プラトンの『ソクラテスの弁明』でのソクラテスの言葉を引用し、その思想的な核心部分について言及している▼「あなたがたの一人一人をつかまえて、自分自身が、できるだけすぐれた者となり、思慮ある者となるように気をつけて、自分にとって付属物となるに過ぎないものを、決して優先して気づかうようなことをしてならない」▼この言葉を田中は重視したのである。自分自身の「精神」(プシューケー)に目を向けることの大切さを説いたというのだ。わけもなく「無知の知」を説いたのではなく、政治家やインテリと評する者たちに論争をしかけたのは、相手を笑いものにしようとしたわけではない。ソクラテスの産婆術とは、田中が指摘しているように「いろいろな知識を外から注ぎこむよりも、むしろ自分で考え、自分で発見させることが、教育者の仕事」との確信があったからであり、「精神」を抜きには語れないのである▼注目すべきはソクラテスが愛国者であったことだ。ペロポネソス戦争には兵士として三回出征しており、祖国を裏切るようなことはしなかった。だからこそ、時の権力者に正論を吐くことができたのだ。村本は田中の『ソクラテス』を読んでみればいいのである。恥ずかしくて赤面するだろうから。


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