草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

天皇は帝国憲法下でも「主権」の所有者ではなかった!

2018年01月06日 | 思想家

日本国憲法を改正するにあたって、喫緊の課題は九条であることはいうまでもない。それを最優先させるべきだろうが、根本において私たちは誤った見方を教えられてきたのではないだろうか。大日本帝国憲法では主権は天皇にあったが、日本国憲法になって「国民主権」となったとの俗説がはびこっているからだ。教科書には「国民主権」という言葉が、「平和主義」「基本的人権の尊重」とともに、日本国憲法の三大原則とされてきた▼小森義峯は『正統憲法復元改正への道標』において、大日本帝国憲法に関して「主権ないし統治権は国家に帰属し、天皇は、帝国憲法の下で『元首』であり、『統治権の総覧者』ではあったが、決して『主権』の所有者ではなかった」との里見岸雄の主張を全面的に支持している。だからこそ、里見の『天皇法の研究』の文章もあえて引用したのだった。「日本国憲法の制定者らはマッカーサー以下日本側の者迄、帝国憲法を天皇主権であるとする大誤解の上に立ち、且つ、この主権を天皇から『剥奪』して、国民を主権者に昇格させるという考であった。帝国憲法からすれば、実は滑稽な猿芝居にすぎないのである」▼大日本帝国憲法4条は「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総覧シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」と書かれている。それを厳密に解読するならば、天皇は全体を見渡すことが要求され、自らの意思を押し付けるということではない。大日本帝国憲法も日本国憲法も翻訳調であることには変わりはない。それでも大日本帝国憲法の方が苦心惨憺した点において優っているのである。


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