草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

センセーショナルに走ったテレビに未来はない!

2018年01月27日 | マスコミ評

なぜテレビがこれほどまでに劣化したのか。センセーショナルに走ったからである。山本夏彦が『笑わぬでもなし』で書いていたことを考慮しなかったからなのである▼「アナウンサーはビルの火事だからといって、大声で叫ぶことは許されない。ぼやだからといって小声で報じることは許されない。いつも同じ音量で、同じ調子で伝えなければならない。だからそれは私の耳を打ったのである」▼それがあてはまるのは昭和までである。平成になってからは事情が変わった。テレビは声高になって正義を語り、大声で叫び始めた。当初は滑稽に見えたが、その過激さが情報弱者の層を掴んだのである。その結果がどうなったかというと、政治が混乱し日本丸を操るリーダーが次々と代わることになった。テレビが日本を駄目にしたのである。とくにコメンテーターと評する人間たちが、国民をけしかけるような言動をして、ニュースをワイドショー化するのに手を貸した▼ようやくそれに気づきはじめたのは最近になってだ。沈着冷静さを失ったテレビの影響は、まだまだ残っている。そこに水を差すのがネットである。現在の日本の言論空間がバランス感覚を保っているのは、ネットのおかげなのである。テレビが生き残るには、かつてそうであったように、ニュースを同じ音量で伝えるアナウンサーに戻るしかないが、それは無理だろう▼一度主役を演じた者は、二度と脇役にはなれないからだ。テレビもまた、新聞とともに滅びるしかないのである。


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