♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■ねたみは墓のようだ / 板倉邦雄

2021年10月30日 | Weblog

2021/5/15放送送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか。板倉邦雄です。旧約聖書の雅歌という書物に、「ねたみは墓のように残酷だからです。」(雅歌8章6節 口語訳聖書)とあります。ねたみは殺人の入口なのですね。使徒の働き25章に入ります。

 さてポルキウス・フェストゥスはローマ総督として任地であるユダヤのカイサリアに着きました。着任して三日の後、ユダヤの都エルサレムに上りました。エルサレムはユダヤの国の都であり、政治、経済、そして宗教の中心地だったからです。

 すると神殿の祭司長やユダヤ最高議会の有力者たちが、新しいフェストゥス閣下を表敬訪問にやってきました。そして早速パウロを訴え出たのです。
「閣下、パウロをエルサレムに呼び出したいのです。私たちの最高議会で、閣下のもとで裁判をしたいのです。パウロをエルサレムへ呼び戻していただきたい。」としきりに願い出ました。

 ユダヤ人たちは途中で待ち伏せしてパウロを殺す考えでいたのです。何と二年以上にわたってユダヤ人の指導者たちはパウロに対するねたみと憎しみに心を燃やし、心を焦がし続けていたのです。

 こんがりと焼きあがるためにはパウロを殺害する以外にはありませんでした。殺人の動機はねたみと憎しみです。ねたみと憎しみの先に待っているのは殺人という残酷な仕打ちなのです。「ねたみは墓のように残酷だからです。」という冒頭の聖書のことばがよみがえってきますね。

 ところが、ユダヤ人たちのしきりに願うリクエストに総督フェストゥスは答えました。「パウロは今、カイサリアに監禁中だ。自分もすぐにそこに帰ることになっている。もしあの男に何か不都合なことがあるのなら、おまえたちの内の有力者たちが私と一緒にカイサリアまで下って行って訴えるがよかろう。」

 ねたみに心と体を引きずられた人々は総督フェストゥスと一緒にカイサリアに向かうことになります。

 聖書のことばです。
「怒っても、罪を犯してはなりません。憤ったままで日が暮れるようであってはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい。」
          エペソ人への手紙4章26節、27節

  (PBA制作「世の光」2021.5.15放送でのお話より )


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