2021.4.30放送
世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
今週はイエス・キリストが十字架で発したことばからイエス様がどのような方かを紹介しています。
イエス様は当時最も極悪な犯罪人を処刑する道具であった十字架につけられました。イエス様の十字架刑は午前9時ごろから始まりました。そして12時ごろになった時、突然、「全地が暗くなり、午後三時まで続いた。」と福音書に記されています。
昼間なのに暗闇が覆うその時に、イエス様は「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」 訳すと「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか!」と大声で叫ばれたのです。
このことばだけを読むと、神の子イエスも父なる神に見捨てられたのかあ、イエスの十字架は失敗だったのではないか? と考えてしまう人もいるでしょう。しかしそう考えるのは聖書もイエス様の十字架の意味も知らないからです。
イエス様は神なる方であるのに人として来てくださいました。それは罪のないイエス様が人々の罪を身代わりに背負い、すべての罰と呪いをご自分で受けるためでした。イエス様の十字架は、私たちを何とかして救おうとする神様の深い愛と、罪を決して見逃すことのない神様の正しさを同時に表すものでした。
イエス様は私たちの代わりに十字架にかかり、正しく義なる神様に断罪されました。「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という叫びは、イエス様が審判者である父なる神様の前で、私たちの罪人の代表として罪の罰と呪いを一身に背負われた苦しみの叫びだったのです。
また、愛と恵みに満ちた神様との関係が完全に絶たれてしまうという絶望の叫びでもありました。ですからこの叫びこそイエス様が私たちの罪を完全に背負って下さったということの確かな証拠なのです。またこの叫びは詩篇22篇の1節「わが神 わが神 どうして私をお見捨てになったのですか。」と同じ言葉です。
この詩篇22篇はキリストの受難の詩篇と呼ばれ、将来、救い主が味わう苦しみを預言したものでした。つまり、この叫びの中にイエス・キリストこそ旧約聖書で預言されていた救い主であるということが明らかにされているのです。
(PBA制作「世の光」2021.4.30放送でのお話しより)
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