♪ラジオ放送・文字版「世の光」

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PBA『世の光』を文字で 

■下心と歓心 / 板倉邦雄

2021年10月29日 | Weblog

2021/5/14放送送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか。板倉邦雄です。今日は「下心と歓心」という題でお話ししましょう。ローマの総督フェリクスが、パウロの裁判を延期した理由が、今日の聖書の箇所でもっと明らかになります。使徒の働き24章の続きです。

 さて、数日経ってから総督フェリクスはユダヤ人の妻ドルシラと一緒にやってきて、パウロを呼び出し、キリスト・イエスに対する信仰の道を聞いたのです。

 そこでパウロはこの時とばかり聖書から、正義とは何か、節制について、未来の神の審判などについて論じました。ですから、フェリクス総督の心は次第に不安を感じてきました。そしてパウロに言いました。「今日はこれまでにして帰るがよい。また良い機会があったら呼び出すことにする。」

 この後も度々パウロを呼び出しては語り合います。しかしキリスト・イエスに対する信仰の道を求めたいためではありませんでした。パウロから金を貰いたいという下心があったのです。

 信心が利得の手段となってはなりません。人の上に立つ人々が自分の立場を利用して、恥ずべき利得のために言葉を発し、行動することがあるということです。金銭の要求などはあらゆる世界の中で繰り広げられているのではないでしょうか。

 さてそれから二年が経ちました。ポルキウス・フェストゥスがフェリクスと交代してユダヤの総督の任に就いたのです。パウロの裁判は何と二年間も延期になっていました。

 二年間パウロは監禁されたまま放置されていたのです。その理由は、総督フェリクスがユダヤ人の歓心を買おうと思ってパウロを監禁したままにしていた、と聖書には書いてあります。

 自分の利得を求める下心のある人は、人々の関心を買うことに躍起になるようですね。人によく思われたい、人に喜ばれたい人は、人の心を買うために金銭が必要となっていきます。金銭がなければ人の関心を買うことはできないことなのです。

 聖書のことばです。「満ち足りる心を伴う敬虔こそが、大きな利益を得る道です。私たちは、何もこの世に持って来なかったし、また、何かを持って出ることもできません。」
            テモテの第一の手紙 6章6と7節

  (PBA制作「世の光」2021.5.14放送でのお話より )


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