♪ラジオ放送・文字版「世の光」

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■パウロの弁明(その二)「心の売り買い」 / 板倉邦雄

2021年10月28日 | Weblog

2021/5/13放送送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか、板倉邦雄です。今日は「パウロの弁明(その二)をお話ししましょう。使徒の働き24章の続きです。

 パウロの弁明は続いています。「私は、いく年ぶりかに帰ってきて、同胞に施しをしたり、また、神殿への供え物をしていました。その時、アジアから来たユダヤ人巡礼者たちが、私が神殿の境内で清めの儀式を行っているのを見ただけでした。その時群衆もいなかったし、騒動もありませんでした。それなのに、アジアから来た巡礼者たちが、私のことをわめき立てて、周りにいる連中を巻き込んだのです。私に何か落ち度や、とがめられることがあれば訴えるべきでした。あるいは何か私に不正なことがあったら、私がユダヤの最高議会で裁判を受けた時、アジアから来たユダヤ人たち自ら出廷して、私の不正を指摘すべきでした。それもしなかったのです。ただ私は、議員の中に立って、『私は死人のよみがえりのことで、今日、あなたがたの前でさばきを受けているのです。』と叫んだだけだったのです。」

 するとここで、総督フェリクスは、「この道」であるナザレ人イエスの教えについて相当わきまえていたので、パウロの弁明をさえぎるように、「千人隊長リシアが下って来るのを待って、お前たちの事件に判決を下すことにする。」と言って、裁判を延期してしまいました。そして百人隊長に、パウロを監禁するように命じましたが、彼を寛大に取り扱い、友人らが世話をするのを止めないようにと指示したのです。

 なぜ総督フェリクスは突然裁判を延期したのでしょうか。理由はただ一つ、自分で判決を下すことをしたくなかったからです。パウロを罪なしとローマ法によって釈放すれば、ユダヤ人たちによる騒動が起こるかもしれない。もしそうなれば総督の地位が危ないのでユダヤ人たちの歓心を買いたかったのです。といってパウロを有罪にすれば、ローマ法のもとで生きているローマ人としての良心が許さなかったのでしょう。

 彼はパウロの信じるところをわきまえてもいたので、パウロにも厚意を売っておこうと思っていたのではないでしょうか。しかし私たちは両方を取ることはできないのです。

  (PBA制作「世の光」2021.5.13放送でのお話より )


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