♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■父よ彼らを赦したまえ / 関根弘興

2021年10月11日 | Weblog

2021.4.26放送

「世の光」の時間です。お元気でお過ごしですか? 関根弘興です。

 キリスト教会のシンボルマークは十字架です。今週は、イエス・キリストが十字架につけられ発せられた十字架上のことばを紹介しながら、十字架の意味を深く探っていきましょう。

 十字架刑は、両手両足に釘が打ち付けられ、死ぬまで苦しみもだえなければならない残酷な処刑でした。イエス様がその十字架につけられると何と兵士たちはくじを引いてイエス様の着物を分はじめました。十字架の周りには当時の指導者たち、兵士たち、そうした人たちが容赦なくイエス様に罵声を浴びせかけていました。

 壮絶な痛みと苦しみの中でイエス様が最初に発したことばはどのようなものだったのでしょう。何とイエス様は、「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」と、とりなしの祈りのことばを語られたのです。

 人は死が迫っているときにはその人の心の内側が見えてくるものです。イエス様がただ口だけですばらしいことばを語るだけの人なら、死と苦しみの前で彼らを呪うことはしても、とりなしの祈りをすることなどなかったでしょう。

 ところで日本語で「ゆるす」という漢字は二つありますね。許可するの「許」の部分、そしてもう一つは恩赦ということばがありますが、その「赦」の部分ですね。許可するということばに使われる「許す」というのは、条件さえそろえば許されるということです。一方、恩赦の「赦」は、許してはいけないものを特別に赦すという時に使われます。

 罪は本来、許されることがないものです。例えば、おまわりさんが「泥棒しても許しましょう。人を殺しても許しましょう。」と言ったらどうなりますか? 無法地帯になります。神様は正義の神様ですから、どんな小さな罪も許すことはなさいません。本来、人は自らの罪のために神様の前に有罪判決を受けても文句を言えない存在なんです。

 しかし神様は私たちを愛しておられるので御子イエス様を送ってくださいました。そして罪のないイエス様が私たちの身代わりとなって十字架にかかり、罪の罰をすべて受けて下さったのです。だからここに私たちの罪が赦されるという道が開かれていったのです。
      (PBA制作「世の光」2021.4.26放送でのお話しより)
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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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