2021/5/3放送
世の光の時間です。今週のメッセージを担当しています東京にある板橋教会の牧師、大井満です。
ヘブル人への手紙7章27節に、「イエスは、ほかの大祭司たちのように、まず自分の罪のために、次に民の罪のために、毎日いけにえを献げる必要はありません。イエスは自分自身を献げ、ただ一度でそのことを成し遂げられたからです。」とあります。
この聖書のことばは、イエス・キリストの十字架の出来事は一回だけで十分で、繰り返したり追加で何かが必要になるというような不完全なものではないという意味です。
人間というのは不完全な存在です。私も小さなミスをすることがよくありますし、笑いごとで済まされないような失敗も数々あります。
小学校五年生の時、父に一発平手で頬を叩かれたことがあります。父が私に手を挙げたのはこの一回だけでした。大好きないとこたちが遊びに来ていたので、私はカブスカウトの活動に参加しないと言い張ったのです。父は「お前には班長としての責任があるのだからカブスカウトに行くように」と強く言い、一発お見舞いされたのです。
このたった一度の出来事は相当こたえました。何を大事にしなければならないかということを考えるきっかけになりました。尚、私は体罰を認めません。私の成長した四人の子どもたちにも手をあげたことは一度もありません。
イエス様が十字架で死んでくださったことはたった一度でしたが、一度ですべての人の罪を赦す力がありました。それは何よりもイエス様が神の子・神でいらっしゃるからです。神がこの取るに足りない私のために十字架につけられて死んでくださったのですから、これほど完璧なことはありません。
昔ユダヤでは民族の罪の赦しを願って、大祭司が毎年毎年、年に一度、神にいけにえを献げていました。けれどもイエス・キリストの十字架は、このような繰り返して行われるいけにえの儀式を無用のものに変えました。ただ一度ですべてを完璧に成し遂げて下さったのですから。
イエス様の十字架による救いと罪の赦しというすばらしいプレゼントを、ぜひあなたも受け取ってください。
( PBA制作「世の光」 2021.5.3放送でのお話しより )
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