2021.2.25放送
世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。
「荒野で叫ぶ者の声」と呼ばれるヨハネという人が出てきます。彼は荒野に住んでおり、人々に、神に立ち返るように、と悔い改めのメッセージを伝えた人でした。彼の語ることばは、「全ての谷は埋められ、すべての山や丘は低くなる。曲がったところはまっすぐになり、険しい道は平らになる。こうして全てのものが神の救いを見る。」でした。
「谷が埋められ」というのは、自分など駄目だという卑屈な心を埋められることです。さらに「山や丘を低くされ」というのは、高ぶった心が低くされることです。私たちの人生の荒野もまたそうです。自分などダメだ、と落ち込み、もっとダメな人を見つけて、あの人よりはマシだ、と高慢になる。その道は歪んで凸凹しています。
しかしその荒野で、ヨハネは神の救いを経験しました。そしてイスラエルの仲間たちに向かって、神の救いを見て欲しい、と切に願ったのです。ヨハネも高慢の山と丘が低くされ、コンプレックスの谷が埋められていった。だからこそヨハネは、自分自身も主に取り扱われたこの荒野という場所で、魂の荒野をさまようイスラエルの仲間たちとこの救いを共にしたい、という気持ちがあったのではないかと思います。
ヨハネのように今日、神のことばが私たちに迫ってきます。この神のことばを語る牧師という仕事に求められるのは自分自身が悔い改めるということです。説教をしながら、その説教は自分に向かって突き刺さります。あなたはこれを語れるほど神のことばに生きているのか、と問いかけられるのです。説教者は自分の荒野と向き合わざるを得ません。私たちが自分の大切な人に伝えようとすることばは、あなたの人生の荒野から語られているでしょうか。あなたの人生の高い所から語られたことばは決して人に響きません。神殿のような場所から、立派に生きていきなさい、と語られてもその思いは伝わらないでしょう。あんな人のように立派な人にはなれない、と思われるのがオチです。しかし荒野から私たちは悔い改めを語るのです。
まさにイエス様は、神が人となられて高きところから低きところへと場所を移され、人間の悲しみ、貧しさ、苦しみのただ中を通られた民です。その神が私たちに語られるのです。「悔い改めなさい。」と。「わたしの元へ戻ってきなさい。」 この神の元へ戻って行こうではありませんか
( PBA制作「世の光」2021.2.25放送でのお話しより )
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