♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■ルカの福音書 -52 / 大嶋重徳

2021年08月13日 | Weblog

2021.2.26放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。


 「荒野で叫ぶ者の声」と呼ばれるヨハネは人々に、神に立ち返るように、と悔い改めのメッセージを伝えた人でした。彼の語る悔い改めの内容は神の怒りでした。神様が怒っておられる。罪に対する神の怒り、神様の悲しみ、神の厳しさをヨハネは知っていたのです。ヨハネは緊張感を感じていたでしょう。ヨハネは厳しい言葉で語ります。「マムシの子孫たち。誰が迫り来る怒りを逃れるようにと教えたのか。悔い改めにふさわしい実を結びなさい。」

 祭司の家庭に生まれて、聖書のことばもよく知るヨハネでした。しかしそこには形だけの信仰になっていたにも関わらず自分の血筋、自分の生き方、自分の信仰に高いプライドだけを持っているイスラエルの人々がいたのです。あなたは悔い改めの実を結んでいない、と。

 悔い改めとはメタノイアということば、---方向転換する・立ち返るという意味のことば--- です。向きを変えて神に立ち返った生活をするということです。

 悔い改めと後悔は違います。ああ私はもうだめだという落ち込みを悔い改めとは言いません。

 時々こういうメッセージを終えて、今日は非常にグサッときましたと言われることがあります。しかしグサッと来たということに満足をしているだけということもあると思うんですね。つまりグサッときた自分はまだ霊的に敏感な方だ、と思っている。生き方は何も変わっていない。礼拝に来てグサッと来たという体験を楽しんでいるだけ。グサッと来るだけで一向に向きを変えて歩むんでいない、ということがクリスチャンにもあるのです。悔い改め風の空気感を演じているだけということはないでしょうか。

 しかし悔い改めとはグサッときた後に生き方が変わるのです。キリストが十字架にかかられたのは私たちが後悔だけをしてグサッとくるという心の動きをもたらすためだけのものではありません。ここで記されている罪とは、罪をひとくくりにしたことばではありません。一つ一つの罪です。あなたの一つ一つの悔い改めが求められているのです。そして罪が具体的な一つ一つであるのと同様に、悔い改めも一つ一つ具体的なものになるべきです。

 今日あなたが神様から語りかけられている具体的な罪とはいったいなんでしょうか。今日私たちはうわべではなく形式的ではなく具体的に罪を悔い改めるのです。あなたが向きを変えるべき罪は何でしょうか。

     ( PBA制作「世の光」2021.2.26放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


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