2021/2/17放送
世の光の時間です。いかがお過ごしですか。板倉邦雄です。今日は「分離主義と世俗主義」という題でお話ししましょう。パウロという人は、かつて自分は分離主義者パリサイ人であったと最高議会で主張します。使徒の働き23章の続きです。
さてパウロは、最高議会の議員の一部がサドカイ人いわゆる世俗主義者であり、一部がパリサイ人いわゆる分離主義者であるのを見て、被告の席で大声で叫びました。「兄弟たちよ、私はパリサイ人でありパリサイ人の子どもです。私は死人の復活の望みを抱いていることでこの裁判を受けているのです。」
被告パウロがこう言ったところ、パリサイ人とサドカイ人との間に論争が始まってしまいました。議場が真っ二つに分かれてしまったのです。
元来、サドカイ人は死人の復活とか天使とか霊とかは一切存在しないと主張し、この世が全てだと世俗主義を主張していました。ですから当時のローマ政府にべったりの考え方と生き方をしていたのです。
他方、パリサイ人は死人の復活や天使や霊の存在を固く信じ、存在すると主張していました。先祖伝来のモーセの律法を守ることに熱く、やがて救い主メシアが来てこの世に神の国が実現すると主張していました。当然のごとくローマ政府に反発し、世俗主義とは一線を引く分離主義を貫いたのです。
ですから両者の間で議場は大騒ぎになってしまいました。
するとパリサイ派の一人の学者が立ち上がり、強く主張しました。「この男には何の悪いことがない。」 こうして論争が激しくなったので千人隊長はパウロに害が及ばないように、兵士たちに、降りていってパウロを兵営に連れてくるように命じたのでした。
現在、パウロはパリサイ人ではありません。まして世俗主義のサドカイ人でもありませんでした。パウロはキリスト者となっていました。その考え方、生き方、死に方のすべては、キリストのように考えキリストのように生きキリストのように死ぬ人となっていましたね。
パウロのことばです。
「私にとって生きることはキリスト、死ぬことは益です。」
ピリピ人への手紙 1章21節
(PBA制作「世の光」2021.2.17放送でのお話より )
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