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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■ルカの福音書 -48 / 大嶋重徳

2021年08月09日 | Weblog

2021.2.22放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。

 「荒野で叫ぶ者の声」と呼ばれるヨハネという人が出てきます。彼は荒野に住んでおり、人々にイエス様を信じる心の準備をさせる人でした。ヨハネは荒野に住んでいました。マルコの1章を見ると、荒野に住み、らくだの毛で織ったものを着、腰に皮の帯を締め、当時遊牧民の常食であったイナゴと野蜜を食べていた、と記されています。

 なぜヨハネは荒野にいたのでしょうか。

 旧約聖書にはたくさんの荒野が出てきます。荒野は聖書で重要な役割を果たしてきた場所でした。イスラエルの先祖のアブラハムが行き先もわからず出て行った場所は荒野でした。さらにヤコブという人が神と格闘をした場所であり、モーセがエジプトから逃れたどり着いた場所です。モーセは神様からの召しを何度も拒んだにも関わらず神様に従ったのも荒野です。出エジプトの民が神に従わず40年さまよい歩いた場所も荒野でした。聖書において荒野とは人生をさまよい出ていくそんな場所となっています。多くの、神に背き神のことばを背いた者たちが歩く場所でもありました。さまよい出て喉の渇きを覚え、神に不満をつぶやく場所でした。

 しかし荒野でこそイスラエルの民は主の声を聞いたのです。疲れ果て、もはや死を願うその民に主は荒野で声をかけられました。荒野は主と出会う場所でもありました。そして荒野は主の声を聞く者たちの悔い改めの場所でありました。主に取り扱れ、神様のもとへ立ち返る決心をする場所でもあったのです。

 ヨハネはいつの頃でしょうか、荒野にさまよい出たのです。

 私たちの人生にも荒野のような時があります。何をしても虚しくて、どこを見ても絶望しかないような時です。そして神様からの声に背いて、神さまを信じることを諦めて、神から離れていきたいと思うような時です。しかしその荒野でこそ神様は私たちに声をかけてくださいます。荒野でこそ、人生をもう一度やり直そうと思える神との出会いがあるのです。

 もし今日あなたが荒野のような時を過ごしているのであれば、そこは神様と出会う時です。ヨハネもまた荒野で神と出会いました。そして荒野で悩める人々を待っていたのです。あなたを待っている神が今日も荒野であなたを迎えてくださるのです。

 今週は一緒に荒野のヨハネについて見ていきたいと思います。


     ( PBA制作「世の光」2021.2.22放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


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