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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■昼は雲、夜は火の光で / 板倉邦雄

2016年08月17日 | Weblog
2016/8/17放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
 今日は「昼は雲、夜は火の光で」という題でお話ししましょう。

 荒野を旅するイスラエルの人々にとっての道しるべは何だったのでしょうか。それは曇であったのです。

 さて、神の幕屋を建てた日でした。雲が幕屋を覆いました。夕方には幕屋の上の雲は夕日に照らされて火の柱のように見え、朝まで及びました。昼は雲が神の幕屋を覆い、夜は雲が火のように見えたのです。雲が幕屋を離れて上るときはイスラエルの人々は直ちに道を進みました。また雲がとどまる所にイスラエルの人々は宿営したのです。

 では雲とは一体何を意味していたのでしょうか。民数記の作者はこう書きました。
 「すなわち、イスラエルの人々は、主の命によって道に進み、主の命によって宿営し、幕屋の上に雲がとどまっている間は、宿営していた。」(9章18節 口語訳聖書)

 神の幕屋にとどまる雲は主なる神様の命令と約束を表すしるしではなかったでしょうか。ですから神の幕屋の上に雲が日数長くとどまっている間はイスラエルの人々は主なる神様のいいつけを守って道を進みませんでした。一か月でもあるいはそれ以上でも幕屋の上に雲がとどまっている間はイスラエルの人々は宿営していて、道に進まなかったのです。逆に、幕屋の上に雲のとどまる日の少ないときは、直ちにイスラエルの人々は主なる神様の命令に従って宿営し、主なる神様の命令に従って道に進みました。雲が夕方から朝までとどまることもあったが、朝になって雲が上る時は人々は直ちに道を進んだのです。昼でも夜でも雲が上るときは人々は進んで行きました。一日の旅路を終えてほっと息をついたと思ったら、次の朝は旅立つことにもなったのです。逆に一週間、一か月、三か月と同じ所にとどまらなくてはならない忍耐を必要としました。

 私たちも自分の思いや気持ちではなく主なる神様の命令に従って荒野の人生を歩み続け、ある時はとどまり、ある時は進む日々を続けて参りましょう。

 聖書のことばです。
 「あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です。
                    詩篇119篇105節 (口語訳聖書)

  (PBA制作「世の光」2016.8.17放送でのお話より )

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