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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■人はうわべを見る / 福井 誠

2016年08月18日 | Weblog
2016/8/18放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「人はうわべを見る」です。それでは第一サムエル記16章7節から読んでみましょう。

  しかし主はサムエルに仰せられた。
「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」


 イスラエルの最初の王様サウルは神様に従わない不誠実さのために王位から退けられていくことになりますねえ。先週までは神様を裏切り続けたサウル王のお話でした。いよいよ神様の期待に応えていくダビデ王のお話になります。預言者サムエルは神様に従って新しい王様を探しに出かけていますね。神様はベツレヘムの地に住むエッサイと呼ばれる家族の所へ導かれるのです。サムエルの求めに応じてエッサイは自分の息子を紹介しています。長男のエリアブが現れるとサムエルは一目で、これこそ神が王様として選んだ素晴らしい人だ、と考えるのです。ところが神様の考えは違って、容貌とか背の高さとか、そんなものを見ていてはいけない。神様というのは人が見るようには物事は見ない。人はうわべを見るが神は心を見る、と言うのですね。実に大切なポイントです。私たち人間はいつも顔形とか背の高さとか、うわべで人を判断しやすいものです。しかし人というのはなかなか分からない、というのは誰もが経験していることでしょう。更に神様の見方の違いは使徒パウロが新約聖書の中でこのように語っています。
 「 しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。
( 1コリント 1章27節、28節 )

 人は常に目的にかなった能力や才能のある人を選びます。しかし神様はそうではありません。ありのままに人を自由に生かす力のある方です。ですから私なんか、といういじけた心は捨て去りましょう。神様はどんな人をもありのままに祝福してくださるお方だからです。

(PBA制作「世の光」2016.8.18放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblica.info 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


 

 

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