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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■本当に必要なたった一つのもの -5 / 大嶋重徳

2016年08月30日 | Weblog
2016/8/30放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。
ルカの福音書には、イエス様の足元にじっと座り込んでイエス様をもてなす手伝いをしない妹マリヤに腹を立てたマルタという姉妹の物語が出てきます。

 そしてそんなマルタにイエス様は、「どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」」(ルカ 10章42節)と言われました。

 長旅をし、喉が渇きお腹が減ったイエス様と弟子たちも確かにご飯を食べなければなりませんでした。ここの箇所は、もてなしの準備などしなくても良い、というようなことではありません。

 しかしここでイエス様が一番したかったことは、残された地上の人生の中で神のことばを余すことなく語りきることでした。

 自分のために気遣って食事の準備をすることよりも、自分の足元で神のことばを聞いて生きる人が一人でも増やされることこそ、イエス様が一番願われていることだったのです。
 
 マリヤという人は、今イエス様が何を願っておられるのかを誰よりもずば抜けて分かっていた人だったのです。周囲も姉マルタもマリヤの姿を非常識極まりない振る舞いだと非難しても、何が本当に重要であるかを判別する力、つまりイエス様に対する信仰と愛の鋭い感覚は、この主の足元に座るところから生まれてきたのです。

 またここで、マリアの聞き方にも注目したいと思います。 マリヤの「聞き入った」という姿勢は、それは自分の何の役に立つかどうかで取捨選択して聞いたのではなく、すべてを受け取ろうとして聞いたのです。

 この箇所をある人は、マリヤのいる場所について注目します。足元とは低い位置です。水が高い所から低い所へ流れ込んでくるような位置、ここにマリヤのへりくだった姿勢があるのだと。決してイエス様よりも高い頭の位置の方では聞かない。

 同じみことばの聞き方でも上の立場に立って聞くという聞き方もあるでしょう。分析しながら自分に役に立つことばかどうか、自分にとって良い話かどうか。

 しかし足元で聞き入るとは、語られたことばを丸ごと全部誠実に受け取ろうとする姿勢がここに表わされています。

 今朝私たちはイエス様のことばをどの位置で聞こうとしているでしょうか。イエス様の足元で、イエス様の願われていることを一番出来る場所で、一日を始めていきたいと思います。

  ( PBA制作「世の光」2016.8.30放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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