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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■小さい者に過ぎないと思っていても / 福井 誠

2016年08月11日 | Weblog
2016/8/11放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「小さい者に過ぎないと思っていても」です。それでは第一サムエル記15章17節、18節から読んでみましょう。

  サムエルは言った。「あなたは、自分では小さい者にすぎないと思ってはいても、イスラエルの諸部族のかしらではありませんか。主があなたに油をそそぎ、イスラエルの王とされました。主はあなたに使命を授けて言われました。『行って、罪人アマレク人を聖絶せよ。彼らを絶滅させるまで戦え。』

 イスラエルがアマレク人を戦争した時のこと、神様は預言者サムエルを通してサウルを王に、すべてのものを聖絶する、つもり男も女も子どもも乳飲み子も、牛も羊もらくだもろばもすべて殺せ、と命じました。まあ今日の平和主義の感覚からすると理解しにくい命令ですが、実はこの命令、イスラエルが圧倒的に劣勢、アマレクに勝つ訳が無い状況で命じられたものですね。つまりもし聖絶がなされたならば、それはイスラエルの戦力によるのではなくて神の助けによる勝利ですから戦利品はすべて神のもの、自分のものにしてはならない、という意味もあった訳です。

 ところが、神の助けによっていざ勝ってみると、サウルは神様に栄誉を帰すこともなく命令に従わず、肥えた羊や牛、最も良いものを惜しんで、これを殺さず、値打ちのないものだけを殺したのでした。

 サウルのしたことは神様の怒りを買いました。そして(サムエルは)言うのです。「あなたは自分では小さい者に過ぎないと思ってはいても、イスラエルの王ではないか。」と。
 サウルは預言者のサムエルに見捨てられ、サムエルに代わる力ある人、知恵ある人を探し求めていました。自分の能力の限界を分かっていたのでしょうね。ところが、劣等感に浸った結果、彼がしたことは小さな自己認識に卑しいことでした。

 大切なのは自分をどのように見えるかですね。聖書は人間は神の宝として造られたと言います。神に愛される者として神の使命を果たすものとして生み出されたのです。卑下することも高ぶることもなく、自分の価値を適切に認めて前向きな人生を歩んでいきたいものですね。

(PBA制作「世の光」2016.8.11放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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