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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■悪魔に機会を与えるな / 関根弘興

2016年08月22日 | Weblog
2016/8/22放送


 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 今日も聖書のことばを紹介いたしましょう。新約聖書エペソ人への手紙4章26節から27節のことばです。
 「怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい。
  聖書は、怒りを持つことが悪いことだとは言っていません。イエス・キリストは大変柔和な方ですよね。でもエルサレムの神殿でいけにえの動物を売る者たちや両替人たちが不正な利益を得るために商売している姿を見て激怒されました。そして彼らを追い出し、彼らの台を倒して、「ここは祈りの家と呼ばれている。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」と言われましたよね。また当時の宗教家たちに、「あなたがたは偽善者だ。白く塗った墓のようだ。」と厳しく批判なさいました。

 不正や悪に対して怒りが起こるのは当然のことです。正しい事が曲げられている時、怒るべきですよね。しかし私たちが怒りを感じた時には気をつけなければならないんだとパウロは警告しているんです。それは怒りを適切にコントロールし処理することはできないと、それが罪を生み、悪魔に機会を与えることになってしまうのだよと教えているんです。

 ところで、この「悪魔に機会を与える」と一体どういうことでしょうか。「悪魔」と訳されることば、それは「中傷する者」とか「訴える者」という意味があるんです。つまり聖書が教える悪魔とかサタンと呼ばれる者の働きは、人を中傷すること、訴えること、そしることなんですね。つまり怒りというものが適切に治められていかないと、それこそあなたがサタンの、悪魔の手下となって、「お前の人生なんか意味がない。お前なんか生きている価値がない。お前は神様を信じているなんて言うけど、その生きざまは何だ。」と言ってですね、あなたがいつも人を訴えるだけの者になってしまう、悪魔の手下になってしまう、と警告しているんです。

 私たちは誰も完全な者なんて誰もいませんね。間違いを犯し、過ちも犯します。そして激怒することもあるでしょう。しかし一呼吸を置いて、「ああ神様は私に赦しと愛の眼差しを向けているんだ」ということを考えるのです。そして怒りを静めて行くんですね。もちろん相手に対して正すべきことは正しながら、しかし怒りを持ち越し、悪魔に機会を与えるような言動ではなく、神様の助けを得ながら歩んで行きたいですね。

  (PBA制作「世の光」2016.8.22放送でのお話しより)

***

 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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