世の光の時間です。お元気でしょうか? 村上宣道(のぶみち)です。
新幹線なんかに乗る時にこんな経験をされたことがないでしょうか。ある時に私はこだま(号)でですね静岡まで行った時のことなんですが、いつものように自由席の切符を買って飛び乗ったんですけど、何とその日は三連休の前日だったものですから通路までぎっしりの超満員だったんですね。それでは指定席券を奮発してと思って指定席車両へ人を掻き分けながら辿り着いたんですが、そこもほぼ満席状態。ようやく空いている席を一つ見つけて座った所へ車掌さんが見えたのでまあ超過分を払って。で、車掌さん(から)、「この席の方が見えたら替わってくださいね」っていうふうに言われました。それからまあ各駅に停車する度にですね、誰か見えるだろうかって席を立つ訳ですね。落ち着かないことおびただしくて、居眠りどころか本もゆっくり読んでいられない。同じ値段を払っているのにと思ってしまうんですけれども。
自分の居る所でない所にいる、つまり自分の居場所が無いっていうのは何とも落ち着かないものだなあというふうに思います。まあ新幹線の限られた時間の間なら大したことではないとしても、自分の毎日の生活の中でですね居場所が無い、職場にもあるいは家庭にも自分の居場所が無いなどと感じるとしたらどんなにか辛いことでしょうか。
えー、少し前に世の御主人たちの帰宅拒否症という現象が多くなったというのが話題になりました。わざと残業して帰りを遅くしたり、街をぶらぶらして時間をつぶしたり、飲み屋に寄ったりなどしてですね。どうしてそうなのかというと、家に帰っても自分の居場所が無いからだそうなんですねえ。子どもが小さい時は子どもが主役。少し大きくなると受験勉強だからと、見たいテレビもままならない。日曜日くらいゆっくり寝ていたいと思っていると、掃除の邪魔になるからと粗大ゴミ扱い。「粗大ゴミ、朝出してもまた戻る」などというサラリーマン川柳が受けたりしてですね、「亭主は丈夫で留守がいい」などとさえ言われて、俺はいったい何なんだあ!と嘆く御主人たちの気持ちも分かるというもんですねえ。
しかしこれらは卑近な例に過ぎませんけれども、それよりももっと根本的なことは、この世に生を受け一人の人間として自分の居場所を知っているんだろうかということですねえ。
アダムとエバが神に背いて離れていった時に、神が彼らに呼び掛けられた最初のことばは、「あなたはどこにいるのですか?」(創世記 3章9節参照)でした。人間の心はアウグスチヌスが言ったように、「救い主である神のもとに帰るまでは決して安らぐことがない」ように造られている。神のもとに立ち帰る、そこが本当の居場所だということですね。
( PBA制作「世の光」2007.10.08放送でのお話しより)
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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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