世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興(せきね・ひろおき)です。今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。
新約聖書使徒の働きの中にパウロとバルナバという人がルステラという町にいた時のことが記されています。一人の足の不自由な男が癒されたんですねえ。するとそれを見た群衆が騒ぎ出しました。人々は叫び始めたんです。「神々が人間の姿をとって、私たちのところにお下りになった! バルナバという男はゼウス(神)に違いない。パウロはヘルメス(神)だ。この方たちにいけにえを捧げよう。」(使徒の働き14章11節〜13節参照) いやはやパウロもバルナバも神様として祭り上げられそうになってしまったんです。
実はこのルステラという町はこんな伝説がありました。昔、ゼウス(神)とヘルメス(神)がお忍びでこの地方を訪れました。それとは知らずに町の人々はみんなこの神々に無頓着で、誰一人丁寧なもてなしをしなかったんです。そんな時、農夫の老夫婦が手厚く彼らをもてなしたのです。そしてこの老夫婦だけがたくさんの報いを受けたのでした。おしまい! ま、こんな話しがあったんですねえ。ですから今度はこの二人(の神々)が来た時は粗相があってはならないということで、ルステラの人々は余計に、パウロとバルナバがもしかすると神々かもしれない、と熱烈に祭り上げようとしたのかもしれませんねえ。
まあいつの時代も、人間の愚かさは人を神様に祭り上げてしまうということです。しばらく前にこの番組でもお話しをしましたが、ヘロデ王が演説をした時のこと。群衆は、「これは神の声だ。人の声ではない。」(使徒の働き 12章22節参照)と叫び始めました。人はすぐに神になろうとしたがるくせがあるし、神に仕立てようとするくせもあるんですね。
しかしパウロはどうしたでしょう。自分を神々の一人に祭り上げられることは空しいことだと言いました。(使徒の働き14章15節以下を参照)
人間は神様に祭り上げられたら気持ちがいいのかもしれません。自分がいつも中心になれますからね。でもパウロたちはどうでしょう。彼らの願いは、自分が脚光を浴び称讃され祭り上げられる生き方ではなく、すべての人に恵みを与える天と地を造られた神様が人々にあがめられほめたたえられることを喜んでいったんです。
もしあなたが映画館に行った時、映画のスクリーン自体がよごれ、落書きがされていたらどうでしょう。どんな感動的な映画がそこに映されていても台無しですよね。パウロたちは自分たちの生涯を通してイエス・キリストを紹介し、イエス・キリストを映し出していくそんな人生でありたいと、ただ願っていたのです。
あなたの心のスクリーンはどうですか? イエス・キリストはあなたの心の罪を赦し、きよめ、真っ白にしてくださるお方なんです。イエス様の素晴らしさを映すスクリーンでありたいとは思いませんか?
( PBA制作「世の光」2007.10.30放送でのお話しより)
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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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