ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

今年も無事に御大神宮さん-佐保神社境内で

2014年07月27日 04時55分35秒 | Weblog

 25日(金)の夜、加東市社の佐保神社の境内にある小宮の一つ、御大神宮さんの祭りが行われました。毎年7月25日に加東市社の田町筋の中田町(なかたまち)町内会が御大神宮さんのお祭りを行っています。田町筋は社市街地の中央から東に延びる道筋で、かつては商店が軒を並べ、社市街で一番の賑わいをほこっていましたが、現在は商店も少なくなり、静かな住宅街に変わっています。西田町、中田町、東田町と3つの町内会があり、そのうち、中田町町内会が御大神宮さんを祀っています。

 この御大神宮さんの由来はこれまで何度もこの歴史ブログで紹介してきましたが、年に一回のお祭りですので再掲します。次の通りです。 

 この小宮について、故・服部千代子さん(中田町)はこんな言い伝えを紹介しています。
 江戸時代のはじめの頃、ある日、空から御幣がひらひらと舞い落ちてきたので、人々は「これは勿体ないことだ。おろそかにできない」と、お金を出し合って家の前に小さな祠を建てたそうです。小さいながらも玉垣で囲って立派なものだったといいます。その後、昭和のはじめになって、田町筋(県道)を清水行や三田行の定期バスが通ることになり、幅5メートルほどの道の真ん中あたりまではみ出していた祠を移転することになりました。当時の町内会長さんが佐保神社の宮司さんに相談を持ちかけたところ、佐保神社の境内に移すことになったのです。
 服部さんの手記では、「遠い昔、江戸時代の初期だったかもしれません」と書いてあり、時期ははっきりしていません。「空から御幣がひらひらと降ってきた」から思い浮かんでくるのが、お伊勢参りとの関係です。伊勢信仰は江戸時代に絶頂を迎えます。全国各地から人々はお伊勢参りの旅にでかけました。その信仰を広めるために各地にお札を配っています。元禄時代にはお札を各地に降らしたという記録もあるそうです。中田町に降ってきた御幣もそうしたものだったかもしれません。 こうして田町筋につくられた御大神宮さんの祠が佐保神社の境内に遷されたわけです。

 もう一つ、御大神宮さんについて歴史を紹介します。それは玉垣に刻まれた「加東米穀取引所」という字についてであります。
 
 加東米穀取引所とは?これは明治中頃から大正初期まで田町にあった米の取引所の名前です。当時の米の取引といえば、大阪の堂島が知られていますが、兵庫県では、神戸や姫路、そして社の取引所で行われていたのです。田町通りはこの米穀取引所に集まる人たちで賑わったそうです。電信や電話が発達していなかった頃、大阪の米の相場を旗振りで知らせたというのです。大阪から神戸、そして志方の城山などを中継して、社の田町通りに建てられた櫓から望遠鏡でのぞいて値段の上下を知り、それを小僧さんが大声で知らせてまわった、といいます。城山から社までは地図上で測ってみると、直線で約14キロほどです。本当に見えるのかを実験した方があり、結果は十分見えたそうです。

コメント
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