ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

軍事絵葉書-寺内部隊発行

2010年03月15日 05時13分45秒 | Weblog
 今日紹介する軍事絵葉書は、表に軍事郵便と書かれた郵便はがきで、中央に「寺内部隊発行」と印刷されています。そして下端に大日本印刷株式会社印刷と印刷所が小さなポイントで印刷されています。
 絵は「露営之夢」と題され、防寒着の4人の兵隊が最前線で露営しているようすが描かれています。絵からは大陸の冷え込んだ空気、寒さにこらえる兵隊、疲れ切って眠り込む兵隊の感じが伝わってきます。
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軍事絵葉書-和田三造が描いた野戦病院

2010年03月14日 05時32分36秒 | Weblog
 再び軍事絵葉書を紹介します。軍隊漫画絵葉書とはちがうシリーズで、朝日新聞のマークが印刷された絵葉書がありました。
 絵は野戦病院のようすを描いたものです。「野戦病院 和田三造 写」とあります。和田三造は兵庫県出身(生野町生)で、「南風」で第1回文展で最高賞を受賞しています。美術の教科書だったか資料集にも掲載されているあの筋肉たくましい漁師が明るい太陽の光を受けて船の上に立つ、あの絵の作者です。和田三造は戦後、大映映画の『地獄門』でアカデミー賞の衣裳デザイン賞を受賞しています。
 その和田三造が描いた野戦病院の絵葉書。ベッドが並び、白衣の看護婦、兵隊が描かれています。窓に花が飾られていたり、壁に絵が掛けられていたり、病室の向こうに蓄音機らしきものが置かれていたりしているのが心を和ませます。
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軍事絵葉書-神戸の慰問袋づくり

2010年03月13日 05時25分42秒 | Weblog
 ここのところずっと軍隊漫画絵葉書を紹介しています。これは地元の方から提供していただいた昔の絵葉書集の中にあったもので、昭和10年代の軍事関係文書を紹介してきたこの歴史ブログとしては、戦地における兵士の生活を描いたこの絵葉書をぜひ紹介したいと思ったからです。
 さて、その収集された絵葉書集(アルバム)の中には他にも珍しい絵葉書が入っています。その一つが今日紹介する慰問袋づくりの現場写真です。
 表には、神戸市の市章が入った切手欄の下に「軍事郵便」と印刷されており、神戸市兵庫区役所発行となっています。左下隅には小さなポイントの文字で「神戸 光村印刷株式会社 印行」と印刷されています。
 写真は、「神戸市兵庫区役所に於ける慰問袋調製の実況」とキャプションが入っています。広い部屋の中には、「大日本国防婦人会」のタスキをかけた女性、日の丸のはちまきをした男性ら多くの人が写っています。床には「皇軍必勝」と書かれた袋、すでに詰められた袋が積まれています。この歴史ブログでも慰問袋に関する文書を紹介したことがありますが、実際にこのように袋詰めが行われ、銃後の国民の思いが詰まった慰問袋が戦地に送られたんだなあと思いました。
 
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軍隊漫画絵葉書⑦

2010年03月12日 04時39分15秒 | Weblog
 今日紹介する軍隊漫画絵葉書は、戦車の戦闘シーンが描かれています。以前にこの歴史ブログで当時の日本軍の戦車の写真を紹介しましたが、叔父が戦車部隊にいて、タンクと呼んでいろいろ話してくれたことをよく覚えています。その写真の戦車と同じ形の戦車が迷彩色で描かれており、漫画独特の臨場感もあります。
 絵葉書の題とせりふは次の通りです。

戦線の怪物
★戦車の猛撃★

「突撃!」

「白兵線ハ 天下無敵 世界一ダゾ」

「小銃ナンカ 平気ダヨ グズグズシテヰルト フミツブスゾ!」
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軍隊漫画絵葉書⑥

2010年03月10日 05時38分05秒 | Weblog
 昨日は満州国に関係する絵葉書を紹介しましたが、今日はその「建国祭」のようすを描いた絵葉書を紹介します。
 満州国は1932年(昭和7)3月1日、建国が宣言され、清朝最後の皇帝溥儀が執政に就きました。建国祭は3月の上旬に行われたものでしょう。
 絵葉書にはお祝いの高脚踊りを囲んで見る兵隊さんや民衆の姿が描かれています。高脚踊りはお祭りなどにつきものの芸だったようで、観衆も囃子に合わせて一緒に踊ったということです。建国を祝い、発展のようすを表す絵葉書ということでしょう。
題やせりふは次の通りです。

年毎に栄える
★満州建国祭★

(二人の兵隊)
「爆竹ノ音モ聞エルヨ」
「今日ノオ祝ノ高脚踊ダヨ」

(手前の子ども)
「大満州国 バンザイ バンザイ」

(向こう側の兵隊)
「竹馬ヲハイテヰルヤウダヨ」
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軍隊漫画絵葉書⑤

2010年03月09日 04時25分42秒 | Weblog
 引き続き、軍隊生活漫画絵葉書を紹介します。
 今日は、満州国での日満親善がテーマです。満州国は1932年(昭和7)に建国され、1945年まであった国です。五族和協和を建国の理念として、満州族、日本人、漢民族、蒙古人、朝鮮人の5つの民族が協力して国家建設にあたっていくとし、皇帝には清朝最後の皇帝、愛新覚羅溥儀がついたことはご存知の通りです。
 昭和6年に満州事変が起こり、日本軍が満州全土を制圧し、満州国の建国へとなっていったわけですが、満州国は日本軍(関東軍)の影響下にありました。そうした中での、絵葉書のテーマである、日満親善があるということでしょう。
 絵葉書には満州国の国旗を持つ子ども、日の丸を持つ子どもと笑顔の兵士、膝に子どもを抱きあげて笑顔の兵士、握手する兵士などが描かれて日満親善ムードが表現されています。
 絵葉書のせりふは次の通りです。

先づ軍人から
★日満親善★

「ミンナ ナカヨクシテ 立派ナ大満州國ニスルンダヨ」

「何卒ヨロシク」

「ワタシニ ニッポンコトバ オシヘテヨ」

「サア キャラメル アゲヤウ」

「ニッポン ヘイタイチヤン バンジャイ」
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軍隊漫画絵葉書④

2010年03月08日 06時02分44秒 | Weblog
 今日も軍隊漫画絵葉書を紹介します。今日は満州の荒野で沈む赤い夕日に照らされながら戦死した勇士を葬る場面を描いた絵葉書です。
 軍歌「戦友」の歌詞の一節「ここはお国を何百里 はなれて遠き満洲の 赤いい夕日に照らされて 友は野末の石の下」が浮かんできます。銃後の家族は無事凱旋を願っているはずなので、こうした戦死の場面の絵葉書が使われたんでしょうか。
 この歴史ブログでも紹介してきました、当時の軍事関係文書綴には「無言の凱旋」「遺骨の凱旋」といった言葉で記された戦死に関する文書もありました。そんなことを思い出しながらこの絵葉書を紹介します。題、せりふは次の通りです。


赤い夕陽に照らされて
★勇士は眠る★

「ヨウシ! 仇ハ俺ガ トツテヤルゾ」

「戦友ノ霊ニ 謹デ敬礼」

「「戦友」ノ歌ガ シミジミト 思ヒ出サレルナア・・・」
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軍隊漫画絵葉書③

2010年03月07日 05時36分43秒 | Weblog
 2回にわたって軍隊絵葉書を紹介してきましたが、もう少し正確に言うと、軍隊漫画絵葉書でしょうか。
 今日紹介するのは大陸へ渡る船の甲板上のシーンです。甲板に11人の兵士が描かれており、船酔いに苦しむ友をいたわる兵士、祖国が遠ざかるなか歌を口ずさむ兵士、昂揚する気持ちを語り合う兵士らの姿が表情豊かに描かれています。
 題とせりふは次の通りです。

道は六百八十里
★故国を後に★

「ウーイー 胸がムカムカシテキタンダ ウーイ」

「モウ 船ニ酔ッテ シマッタノカ」

「オイ兵田! 俺ガ死ンダラ 骨ヲタノムゾ」

「イヨイヨ 御国トモ オ別レカ」

「ココハ御国ヲ 何百里♪」

「俺達ハ 陛下ノタメニ 国ノタメニ 命ヲステテ 頑張ルンダ!」

「沿道至ルトコロデ 受ケタ国民ノ熱誠ハ 忘レラレナイヨ」

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軍隊絵はがき②

2010年03月06日 05時32分18秒 | Weblog
 昨日に続いて軍隊絵はがきを紹介します。絵はがきの発行元は「東京武揚堂」とあります。この武揚堂は明治時代創業の軍隊用図書などを出版していた会社のようです。
 今日の絵はがきは、陣中風景の一つで、散髪と入浴の風景が描かれています。中国人の理髪屋さん、大きな甕の風呂、笑顔の兵隊さんのいきいきとした動き、表情がよく描かれています。
 絵はがきの題、せりふは次の通りです。

「陣中の慰安 ★野天風呂と理髪★」

「オイ スコシ痛イゾ モット ウマク カッテ クレ」

「カメ風呂モ ナカナカ 風流ダナァ」

「俺ハ一ヶ月ブリノ 入浴ダヨ」

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軍隊生活の絵葉書

2010年03月05日 04時38分42秒 | Weblog
 この歴史ブログでは、昭和10年代の軍事関係文書を紹介してきましたが、その中に戦地の兵士への慰問袋に関する文書もありました。
 そんな当時の軍隊生活を描いた絵はがきがあったと提供をうけました。遠く祖国を離れた満州で、銃後を守る郷土から届いた慰問袋を開いて喜ぶ兵隊さんの姿が描かれています。
 葉書の絵に挿入されているキャプション、セリフは次の通りです。

待たるる便り
-嬉しい慰問袋-

何ガ出ルカ開ケヌウチガ楽シミダ

ヤア スバラシイ美人ノ写真ダゾ・・・

俺ノハキャラメルダ オイ ソレト交換シナイカ

オイオイ 何ヲ メソメソ泣イテヰルンダ

激励ノ手紙ニ泣カサレタンダ

 
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昭和4年-区長の視察旅行(大阪京都)

2010年03月03日 04時45分04秒 | Weblog
 昭和4年(1929)の1月、区長の視察旅行の案内通知が社区事務所(現、加東市社)の「雑書綴」に綴じられています。社町長から各区長宛に出されたもので、行先は大阪、京都になっています。茨木でウドの栽培を視察して京都では御大典の式場見学という行程になっています。昭和の御大典は、前年の昭和3年11月10日京都御所で即位式が行われ、さらに14日から15日にかけては大嘗祭、16日からは提灯行列や旗行列が行われました。
 この視察旅行は、今の区長会の視察旅行にあたるものなのでしょうが、正月早々の視察だったんですね。


昭和四年一月三日
          社町長
各区長 殿

新年の吉兆千里同風目出度申納候
就而先般御協議申置き候視察
旅行先之通リ決定致シ候条同
時刻迄に御出張相成度欠席ノ御
方ハ五日午前中ニ豊国相成度申候
及通知候也

 左記

一、出張月日 昭和四年一月六日七日ノ二日間

一、集合時刻 一月六日午前一時(一時半出発)

一、視察地  摂津茨木付近ウドノ栽培ヲ視察
       シ京都ニ至リ御大典式場拝観

一、集合場所 社町役場

一、補助費  壱人拾圓
  万一集合時刻ニ遅レタル方ハ京都三条小橋(松屋旅館)ニ御越シ相成度念為申し添へ候 
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昭和10年-満期退営兵奉告祭挙行ニ関スル件

2010年03月02日 06時51分53秒 | Weblog
 社町社区事務所の「往復文書綴」昭和9~10年の中に、軍隊を退営した郷土出身兵の満期退営を祝い、駅での出迎え、そして佐保神社での奉告祭の案内通知が綴じられています。
こうして無事帰郷された兵士を町民一同が喜びと感謝の気持ちで迎えていたんですね。


 昭和十年十月八日
            社町長 大橋實次
町会議員
区  長 殿
各団体長

 満期退営兵奉告祭挙行ニ関スル件

一昨年十二月上旬入営ト同時ニ渡満厳寒ト匪族跳梁ノ北満ノ警備ニ就カレルコト半ヶ年昨年五月無事凱旋遊サレ其ノ後現役ノ大任ヲ遂ヘラレ左記各位本月十匪無事満期退営遊サレ候ニ付テハ同日午後一時ヨリ佐保神社前ニ於テ奉告祭挙行可致候条御多忙中ノ御事トハ存候ヘ共御参列相成度此段及通知候也

  記

社駅着 時刻  午後0時十一分
 服部 勲(社)  井上保夫(山国)  柴垣幸司(窪田)  中西義雄(窪田)


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昭和7年-卒業式の案内

2010年03月01日 04時59分41秒 | Weblog
 3月は小、中学校の卒業式のシーズンです。学校から案内をいただきますが、戦前、昭和7年(1932)の社小学校の卒業式の案内が社区の雑書綴に綴じてあったので紹介します。文体は候文ですが内容など基本は今もほぼ同じです。


 昭和七年三月二十四日

          社小学校長  大西俊一

     殿

拝啓 春陽の候彌々御健勝の御条奉賀候
扨て来る二十六日午前十時 本校講堂に於て
卒業並に修業証書授与式挙行仕候条
御臨席の栄を賜はり度々此段御案内
申上候
 追て少々準備の都合も有之候条乍御手数御
 出席の有無御一報被成下度願上候

----お切取線---------
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