ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

加東伝の助くんと小寺彦兵衛さん

2013年11月19日 05時06分54秒 | Weblog
 17日(日)、加東市滝野総合運動公園でふれあい球技大会が行われました。霧の中での開会式には加東市のマスコットキャラクターの加東伝の助くんも登場し、出場者を激励しました。くまもんやふなっしーほど全国的なスターではありませんが、加東市民をはじめ多くの人に愛され親しまれています。そこで、記念写真を撮りました。
 16,17日に東条湖おもちゃ王国で開かれたマスコットキャラクターまつりでも「伝ちゃん大好きです。そやかて可愛いもん」と仰る伝の助ファンのご婦人にも出会いました。
 ところで、市外から加東市のイベントなどに参加された方から、「伝の助て何ですのん?」とよく質問されます。あらためて、ここの伝の助くんについて紹介します。伝の助の公式な紹介は次の通りです。

○名 前・・・加東伝の助(かとうでんのすけ)
○出身地・・・加東市社50番地 
○生年月日・・平成20年11月5日(水)PM8:30
○年 齢・・・ずーっと15歳前後(変わりません)
○趣 味・・・多くの人にいろんなことを伝えること
○好きな言葉・・夢と元気
○尊敬する人・・小寺彦兵衛さん
○チャームポイント・・髪型が加東の「か」
 加東市に「釣り針」を伝えた「小寺彦兵衛」さん。
 その技は加東市だけでなく市外、県外へと伝えられ
 ていきました。
「加東伝の助」はその「彦兵衛」さんの想いを受け
 継いで誕生しました。
 「伝の助」は伝統文化を今に伝えます。
○昔の伝統文化を今に伝えます。
○今のいいものを未来に伝えます。
○いろんな情報を伝えます。
○夢と元気を伝えます。


 加東市下久米の三草坂には小寺彦兵衛翁を顕彰する塚があります。塚は大正8年(1919)に建立され、90年経って傷みも激しくなり、平成22(2010)に兵庫県釣針協同組合によって玉垣や敷地が修復整備されました。
 小寺彦兵衛さんは下久米村(現加東市下久米)の庄屋で、釣針製造技術を土佐(高知)から学んで地元に伝え(幕末の頃)、現在の地場産業の基をつくりあげた郷土の偉人です。彦兵衛さんの偉さは自分の習得した技法を公開し、こころよく教えたことであると伝えられています。
 ふるさとにこうした偉人を有するということは幸せなことだと思います。なぜなら、その偉人をふるさとの共通の先人として仰ぎ、誇りとし、懐かしみ、学び、語ることができるからです。彦兵衛さんは釣針製造関係者や下久米地区の人だけではなく、今や加東市民共通の先人となっています。そして、加東市の人気者のマスコットキャラの加東伝の助くんのモデルになっているのです。
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