ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

明治の教育者・寺本武の頌徳碑-社の百旗の地に

2018年02月08日 06時28分31秒 | Weblog

 

 加東市社の市街の東、環状線と田町通りが交差する道池交差点から大きくカーブしながらゆるやかな坂道をのぼったところ、百旗墓地の向かい側に大きな石碑が立っています。社郵便局の北側に下る細い坂道との分かれ道にあり、周辺には墓地やお地蔵さま、社こども園、道徳心のまち石碑などがあります。
 さて、この石碑は明治時代の教育者である寺本武(てらもとたけし)の頌徳碑です。東向きの表面は黒く煤けたようになり碑文の字を読むのも苦労するほどです。しかし、西向きの裏側はきれいで発起人の名もはっきりと読めます。
 寺本武は、明治前半の教育者で、社尋常高等小学校をはじめ、三草や曽根の尋常高等小学校などで、訓導(校長)として郷土の子供達の教育に尽くした人物です。
 『加東郡誌』(大正12年刊)によれば、明治13年1月から17年3月まで社尋常高等小学校の首座教員、同25年7月から29年9月まで首座三等訓導として勤務しています。また、明治12年から14年まで曽根尋常高等小学校の主席訓導、明治23年から24年まで三草尋常高等小学校の主席訓導を務めています。
 裏面には、発起人として8人の氏名が刻まれています。
 飯尾丑吉 稲継主計 初井孫太郎 丹羽省三 丹羽意 中村鶴三郎 松本彌一郎 小林秀次。
 初井孫太郎、丹羽意、丹羽省三、中村鶴三郎は明治時代の教師(校長)です。飯尾丑吉 松本彌一郎 小林秀次は明治時代の社村の村長。
 さて、表の碑文は、寺本家の子孫の方から解読文を見せていただきました。約190字の漢文です。解読は大前百太郎氏(西脇市)となっています。大前氏によれば、碑文の前半は教育制度の成り立ち、後半に寺本氏の人物、業績を称える構成になっています。解読文によれば、寺本武君は上品で素朴、親切、慎み深い人柄で、訓導(校長)に在ること20余年、郷土の子弟の教育に尽くされたことが書かれています。
 頌徳碑の題字は、一柳末徳(旧小野藩領主)で子爵。撰者は明石、梁田邦彦、書は神戸、松原貞幹、建立年は、明治31年9月と刻まれています。
 120年前に郷土の教育者を称えて建てられた碑。兵庫県150年の歴史をふり返る節目のこの年に、この碑が伝える郷土の歩みを見つめ直してみたいと思います。
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