ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

大正13年の溝普請人夫扣-社町農事係

2022年05月21日 06時07分27秒 | Weblog
 

 この時期、市内各地区では、田植え前の溝普請が行われています。ここに大正13年度の「溝普請人扣」があります。西暦1924年ですから98年前の社町(昭和の合併前の旧社町、現在の加東市立社小学校区域)のものです。
 頁をめくると、各池の樋から田まで延びる溝(水路)の普請の割り当て人数と氏名が記入されています。
 例えば、今は住宅地になっている道池の部では、一番から二十一番まで、番外も含めて22に振り分けられています。

道池部
一番 二人 山本音松
 樋尻ヨリ玉田新二郎田マデ 大正十三年度ヨリ二人分増
二番 二人 吉田左助
 北樋尻ヨリ湯屋ケ谷マデ

 というように記入されています。道池は昭和30年代になくなりましたが、樋から延びる水路それぞれに人夫が割り当てられ、溝普請にあたっていたことがよく分かります。八番には、「二人」「吉田左助」「若ケ池尻ヨリ溝三ヶ所」とありますが、その溝にあたる3本の水路があります。うち1本は使われていませんが。
 大正13年は東播地域は大旱魃に見舞われた年です。

コメント
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