ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

灘の敏馬神社-古代の敏馬の泊

2017年09月06日 05時48分52秒 | Weblog
 5日(火)、県議会産業労働委員会の阪神地区の管内調査の途中、昼食後の出発時間までの待ち時間に食事会場近くの神社を訪れました。
 道路に面して立つ鳥居をくぐり急な石段を登ると正面に本殿がありました。傍らに掲げられている「式内社 敏馬神社 略記」には「大石・味泥・岩屋・HAT神戸の産土の神」とありました。
 「敏馬」は「みぬめ」と読みます。生田神社、長田神社とともに神戸市内最古の神社の一つに数えられています。御祭神は「素戔嗚尊・天照皇大神・熊野座大神」の三柱。縁起によれば、敏馬神社は、神功皇后が朝鮮出兵からの帰還の際に、神のお告げによりこの地に神をおまつりしたのがはじめとされています。
 境内には古地図が掲示されており、かつてはこの地は「敏馬の泊」と呼ばれる良港であり、万葉集にも敏馬が詠まれた和歌が9首もあるそうです。パンフレットに掲載されている一つを紹介します。
 「八千鉾の 神の御代より 百船の はつる泊と 八島国 百船人が 定めてし 敏馬の浦は 朝風に 浦浪さわぎ 夕浪に 玉藻はきよる・・・・(田辺福麻呂)。「百」の字が2つもあり目にとまりました。
 参拝を終え振り返ると、道路と街並みが見えましたが、かつては美しい海が広がっていたのでしょう。短い時間でしたが心がしずまりました。
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