ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

昭和44年-社小学校創立97周年「八城教育」から

2012年07月03日 05時01分28秒 | Weblog
 友人が一枚の古い新聞を持ってきました。昭和44年(1969)10月25日発刊の日付がある「八城教育」(社町立社小学校)の創立97周年記念特集号でした。校長は岸本格先生。私の在学当時の校長先生でしたので懐かしい思いで写真を見ました。
 校長先生の挨拶の中にある歴史を読むと、「社小学校は明治5年(1872)10月25日に校区内の八つの学校の校舎をもって誕生しました。そして、その中心校は知新校の名で社町上本町にあり、その後八城学校、社尋常小学校、社尋常高等小学校、社国民学校、社小学校と名こそ変わりましたが連綿として続き、よき伝統を育んでまいりました」とあります。昭和44年で97周年。今年だと140周年ということになります。八城学校は現在の明治館の地にありました。現在の地に学校が移転したのは明治41年(1908)年のことでした。その頃の生徒数は770人。昭和13年(1938)に本館木像校舎が新築されました。その頃には1100人の生徒数だったそうです。さらに昭和20年(1945)には1450人。すごいですね。

 「八城教育」に藤原静子先生の思い出の文が掲載されています。

 私がこの社小学校を卒業してから早や30年近くになりますが・・・から始まる思い出の中に、学校生活の一日が書かれています。

 まず、校門を入って、二宮金次郎の銅像と令旨塔、次ぎに奉安殿(今は築山になっている)、最後に運動場の松林にあった八城神社にうやうやしく礼をしてから、班長の「解散」の合図で教室へ行っていました。
 下校時は朝の逆に、八城神社、奉安殿、令旨塔、二宮金次郎の銅像に礼をして帰っていました。

 今は八城神社のあった松林辺りは社幼稚園になっています。奉安殿のあった場所は築山に、令旨塔はありませんが、その石はこの歴史ブログでも紹介しましたが、築山の中にあります。金次郎像はありますが、戦争当時のものは「出征」し、現在の像は戦後寄贈されたものです。
コメント
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