メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

プーランク 「カルメル会修道女の対話」

2020-10-06 14:11:15 | 音楽
フランシス・プーランク:歌劇「カルメル会修道女の対話」
指揮:ヤニック・ネゼ=セガン、演出:ジョン・デクスター
イザベル・レナード(ブランシュ・ド・ラ・フォルス)、カリタ・マッティラ(修道院長)、エイドリアン・ピエチョンカ(新修道院長)、エリン・モーリー(コンスタンス)、カレン・カーギル(修道女マリー)、デイヴィッド・ポルティッヨ(騎士フォルス)、ジャン・フランソワ・ラポワント(ド・ラ・フォルス侯爵)
2019年5月11日 ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場 2020年10月 WOWOW
 
プーランク(1899-1963)は三つのオペラを書いているが、これはその二つ目で、1957年の初演。
フランス革命で、キリスト教会の組織に圧力がかかる中で、殉教者が出ればその分維持できる部分があるという考え、動きが出てくる。このあたりは、カトリック文化にうといからか、日本で育ったからか、理解できないが、それは一応置くとして、それを前提に、作品、特にその音楽を味わっていくことにした。
 
主人公ブランシュは侯爵の娘だが、この時代にどう生きるか思い詰めて、修道院に入ってしまう。そこで友人となったコンスタンス、指導者マリーとやりとりしながら、重苦しい動きの中で悩む。
そんな中、第一幕の終盤で、修道院長が病にのたうち回り、苦しみながら息絶える。修道女の長のこのようなふるまいに皆ショックを受けるが、ここは聖と俗、殉教と自然死の対照という、うまい構成であり、後半への伏線になっている。
 
その後、修道女たちは教会そのものを守るためか、俗界に散り、普通の服装で現れるが、結局は捉えられ、死刑を宣告される。この最後、彼女たちは微笑みながら順にギロチンに向かっていく、これは衝撃的だ。
 
音楽はアリアでも劇伴でもなく、20世紀の現代、シリアスオペラによくあるシュプレッヒ・シュティンメのようでもない。優れて美しい声と音楽が織りなす作品である。
 
作曲者はこれを聴いてくれ、とことさらに表現しているという感じではなく、自然に流れていくのを聴いていると、こんなところまで来てしまった、という感があった。
 
作曲された時代からすると、これはナチスを思い起こさせることも想定したではあろうが、そこを超える結果となった。殉教ということは置くとして、観てよかったと思う。
 
指揮者セガンはこのシーズンから総監督だそうだが、以前からなかなかいい指揮、まとめ方、進行という印象があった。優れてきれいな音楽だった。彼へのインタビューによれば、最後の場面、何人かの団員が涙を流しながら弾いていたという。
 
ブロンシュのイザベル・レナード、歌、演技、姿など適役、マリー役のカーギルもいいサポート。壮絶な死を演じたマッティラも見事だった。
あまり余計な動きがなく、モノトーンでシンプルな舞台も、この静かな進行でそれゆえの凄絶なフィナーレに効果を出していた。
 
プーランクのイメージは20世紀作曲家としては、いかにも現代というより、もう少し入っていける音楽といったもので、若いころ器楽曲、協奏曲などそれなりに耳にしていた。宗教曲としては「グローリア」は変な言い方だが、親しめた。これらについては指揮者のジョルジュ・プレートルが熱心で、この人、マリア・カラス晩年のサポートとならび、ここで功績があったと思う。かなり後になって、マーラーなどドイツものもいいということがわかったけれど。

先日アップしたリヒャルト・シュトラウス「影のない女」といい、この作品といい、これだけ年月が経つと20世紀のオペラも、今落ち着いて評価、鑑賞できるようになったと思う。


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