ヴェルディ:歌劇「リゴレット」
指揮:ミケーレ・マリオッティ、演出:マイケル・メイヤー
ジェリコ・ルチッチ(リゴレット)、ディアナ・ダムラウ(ジルダ)、ピョートル・ベチャワ(マントヴァ公爵(デューク))、ステファン・コツァン(スパラフチーレ)
2013年2月16日 メトロポリタン歌劇場 2013年12月WOWOW
録音はLPレコードで聴いたことがあって、筋も特に最後はほぼ知ってはいるが、映像ではおそらく初めてだろう。
マントヴァ公の家来・道化のリゴレット、公は遊び人だが、学生と偽ってリゴレットの娘ジルダに言い寄り、彼女を夢中にしてしまう。それを知ったリゴレットは復讐を狙うが、最後はなんという結末! これがどうにも入っていけないいい加減な筋立て、ヴィクトル・ユーゴーの原作を下敷きにしていて、スキャンダラスといえばそう、それを逆手にとってミュージカルで実績のあるメイヤーは舞台を1960年代のラス・ヴェガスにして。全体を猥雑な雰囲気にし、このモラルがあるとは言えないスト―リーに沿ったものとしている。
マントヴァ公(デューク)のメイク、衣装などはフランク・シナトラを想定しているらしい。その取り巻きもサミー・デイヴィス・ジュニア、ディーン・マーチン、ピーター・ローフォードを想定しているらしく、舞台装置とともに中年以上のアメリカ人が見ると、私よりもっとよくわかるだろう。
とはいえヴェルディはこの変な話に立派な音楽をつけているから、場面場面の音楽、特にジルダとデューク、ジルダとリゴレットの2重唱は歌いきるのも大変だが素晴らしいものである。ちょっと長すぎるけれど。
ジルダのダムラウ、デュークのベチャワ、リゴレットのルチッチ、三人とも今一番勢いがあるというところだろう。リゴレットではヌッチが今一番定評があるけれど、残念ながら見ていない。
特にダムラウはリリックなところと力強いところ、そして音色が整っているところなど、ヴェルディのこういう役にはぴったり、いずれ「椿姫」も聴いてみたい。
ベチャワもこういうオペラのテノールとして今後も楽しみである。
ルチッチは長身、見事な体躯で、父親の怒りをヒステリックでない強い調子で聴かせた。
コツアン(バス)は、この雇われ殺し屋で、確かに喝采を浴びていい演技だった。
ヴェルディの歌劇としてこれは、「ナブッコ」、「エルナーニ」などのあと、中期と言われる時期に入ったところの作品らしい。このあと、「イル・トロヴァーレ」、「椿姫」などが続くと考えれば、音楽としては、確かにそうだなと感じる。このあたりのいくつかの作品が、史的物語を背景にしていなくてしかも人間同士のドラマとなっていて、私は好きである。歴史ものやシェークスピアものよりも。
PS:
「椿姫」のヴィオレッタは女性として自立していて、ヴェルディの歌もそれにふさわしいものになっている。一方このジルダ、女性としては自立していないが、歌は過剰なほど優れていて、これがこの作品に特異な位置を与えていると考える。