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メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

あの頃ペニー・レインと

2006-06-06 22:12:25 | 映画
「あの頃ペニー・レインと」(Almost Famous  2000年米)
この製作・監督・脚本は、キャメロン・クロウ(1957~)で、彼が15歳の頃すなわち70年代初頭に、関心を持ち出したロックの世界に入り込み、記事を書き出して、やがて「ローリング・ストーン」誌に入るまでの経験をもとにした話である。
 
彼は幼くして父を亡くし、教師をしている厳格な母親と姉の3人家族、母親は姉が流行の音楽にちょっと夢中になってもそれを取り上げてしまうほど。それがいやで姉は家を出、スチュワーデスになる。
彼女は母に内緒で弟に何枚かのレコードを残すのだが、それが彼の人生の始まり。
 
彼(パトリック・フュジット)は15歳なのだが幼く見える、さらにどうも入学時に親が年齢をごまかし、また出来るので飛び級もしたらしく、知らない人には17~18で通す。
 
そしてあるバンドのツアーにもぐりこんで取材を開始、マイナーな媒体に書き始める。このバンドをかこむバンド・エイド(多くはいわゆるグルービー)にいるアイドル役が通称ペニー・レイン(ケイト・ハドソン)で、彼は彼女に次第に夢中になっていく。
 
70年代のロックシーンを、ここで出てくる名前でいくとフー、クリーム、レッド・ツェッペリンその他をよく知っていると、この映画の細部をもっと面白く味わうことが出来るのだろう。
がしかし、あいにく「アメリカン・グラフィティ」(1973 ジョージ・ルーカス)なら60年代前後の話だからそういくのだが、70年あたりから、サイモンとガーファンクルのあとはエルトン・ジョン、キャロル・キングなど、もっとボーカルっぽい方にいったから、細かいところはわからない。
 
映画の進行としては、このバンドツアーの中での夢(当然薬もからむ)と現実との往来が語られる。がここでの主人公はむしろバンドリーダー(ビリー・クラダップ)とペニー・レインで、この少年はなぜか落ち着きすぎているというか、やはり観察者の性格が強い。
ちょうど「アメリカン・グラフィティ」の主人公(リチャード・ドレイファス)がそうだったように(こっちはルーカスの投影だろうか)。
 
キャメロン・クロウというと「ザ・エージェント」(1996)と「バニラ・スカイ」(2001)が有名で、よくわからなかった「バニラ・スカイ」を本作のあと再度見てみようと思う。もっともこれはトム・クルーズの熱烈な希望によるリメイクだから、共通性があるというのは考えすぎかもしれない。
 
ケイト・ハドソンはこのちょっと「不思議ちゃん」的な女の子にぴたりとはまっている。アメリカ的な基準からいけば美人だろう。
ただし彼女の母親はゴールディ・ホーン、美人ではなくどちらかというとファニー・フェイスであったが、セクシーなのはこちらの方(「バタフライはフリー」(1972)など)か。
 
ヒロインの通称ペニー・レインはもちろんビートルズの曲「ペニー・レイン」(ペニー通り)から来ていると思われるが、映画の中で言及は一切ない。
1970頃、東京原宿にペニーレインというロック・カフェがあったそうで、吉田拓郎の「ペニーレインでバーボン」でさらに有名になった。邦題はこういうことを踏まえたものだろう。あまりにノスタルジックで甘酸っぱいタイトルという意見もあるが、日本で興味をひきつけ見てもらうためにはこのくらい必要だろう。
 
主人公がもっと小さいとき(別の子役がやっている)、母親が姉が持っているサイモンとガーファンクルのLPを取り上げ、こんなものきいてと言う。特にジャケットのポール・サイモンの眼を非難する。
ジャケットには見覚えがあった。今書きながら聴いている「ブックエンド」(LP)である。よく見るとポールの眼はちょっと夢の境地かもしれない。しかしこの「冬の散歩道」などが入っているLP(1968年)はだいぶ社会派になっているとはいえ、サウンドはそんなにセンシュアルでない。当時の米国、親が教師であればこういう対応が普通だったのか。

揺れるブルックナー

2006-06-04 13:03:51 | オーケストラ
1972年日フィル最終定期公演(マーラー「復活」)の3ヶ月前、3月23日(木)に聴いたのがブルックナーの交響曲第3番ニ短調であった。
指揮はフィンランドのオッコ・カム、カラヤン・コンクール最初の優勝者だったはずである。
 
この曲を聴いたのはこのときが初めてで、ブルックナーの交響曲全般としても初めて何か味わえた、わかったという感を持った。
 
それは始まってすぐに予感があったのだ。このオーケストラからそれまで聴いたことのないみずみずしく溌剌とした響き、そして何か底知れない奥の方からその響きがゆらゆらとやわらかく迫ってくる。
未だになぜだかわからないのだが、こういうことはあるのだろう。その後は同じ曲をカール・ベーム、ウィーン・フィルのLPで聴くようになった。
 
ブルックナーの他の交響曲となると、少しずつ付き合えるようになったが、その次の飛躍となると、カラヤン晩年の第7、第8あたりまでかなりの時間がかかっている。
 
このカムのブルックナー、放送録音を保持しているわけでもなく、その場で聴いたきりであるけれども、こうして思い出して言葉にするのに何も困らない、そういう数少ない機会の一つである。
 
なおこのコンサートでは他に、
サリエリ「フルートとオーボエのための協奏曲」
武満徹「ユーカリプス1」
が演奏された。加わったソリストは丁度来日していたバーゼル・アンサンブルのメンバーで、
フルート:オーレル・ニコレ
オーボエ:ハインツ・ホリガー
ハープ:ウルスラ・ホリガー
今から見てもすごいメンバーである。

ブーレーズのマーラー「復活」

2006-06-03 23:39:13 | オーケストラ

ピエール・ブーレーズ(1925~)がウィーン・フィルハーモニーと録音したマーラー(1860~1911)の「復活」CD(DG)が発売された。
ブーレーズには長い間、近代から現代にかけての音楽のナビゲーターとして世話になったから、マーラーも1995年の第6以来聴いてきてこの第2番「復活」であと第8番「千人の交響曲」を残すのみとなった。第8は演奏しない人も多いから実質全部といっても良い。(どうも録音するらしい)
合唱:ウィーン樂友協会、ソプラノ:クリスティーネ・シェーファー、メゾ・ソプラノ:ミシェル・デヤング
 
まず冒頭からしばし、おやっと思うほど立体感、奥行きがある。特に木管と弦。オーケストラのせいかとも思ったが、同じウィーンを振ったメータの1975年盤(これはかなり好きな演奏)はここまで極端ではなかった。もっともホールはブーレーズがムジーク・フェライン、メータはDECCAがよく使ったゾフィエンザール、その違いはよくわからないが。
 
そしてその後も立体感と透明感はあり、乱れず、曲の構造の力は出ている。しかし、マーラーの中でも特にこの曲は、それでも最後の第5楽章になると、何か感情的な高まりがもっとないと、おさまりがつかない。
 
実はブーレーズ最初のマーラーは1970年ロンドン交響楽団(LSO)と入れたカンタータ「嘆きの歌」、未完の交響曲第10番のアダージョであり、これらは確か史上初録音のはずである。その後CD復刻はされていないようだ。
 
「嘆きの歌」のLPは持っているが、このあたりからブーレーズのマーラーへの期待は、このロマンティックな楽曲にブーレーズの眼と手が入ることによって、明晰と混沌の対照が、ストレスが強い表現を産むだろうというものであった。うまくいけば「ドイツ表現派」の絵のようになるのではないかと。
 
しかし、ライブで時々マーラーを振っているらしいとの話はあったものの、1995年まで待たねばならなかった。
ブーレーズはこの半世紀、最初は近代の決定版選集を作るかと思われるごとく、ストラヴィンスキー、ドビュッシー、ラヴェル、シェーンベルク、ウェーベルン、ベルク、バルトーク、自作などを数多くCBSに録音し、それらの多くはこれら楽曲理解のベースとなるものだった。
 
そしてその後DGにほぼ同じレパートリーを再度録音し、それらは一部の曲にある民族色への配慮、円熟した味つまり「怒れるブーレーズ」とは違うという評価も多かったようである。
しかしそれは違う。やはり彼のような人といえども初心の気合、ストレスは、このような曲に関してはプラスになりこそすれマイナスにはならない。だからマーラーの録音シリーズは開始が遅すぎたか。
  
ところで先日5月28日(日)NHK教育TVの名演奏シリーズでジュゼッペ・シノーポリ(1946~2001)が1987年フィルハーモニア管弦楽団との来日時サントリーホールで演奏した「復活」の後半が放映された。
インタビューで彼は「マーラーには「破局(カタストロフ)の意識」があり、アイデンティティーと真実の喪失があって、夢想によって仮のアイデンティティーを求めようというのがマーラーの音楽である」と言っている。特に「復活」はそうかもしれない。演奏する側、聴く側の少なくともどちらかにそういう希求がないと「復活」は熱くならないうちに終わってしまう。

実はこの1月16日の演奏は実際に聴いている。このころは少しつらい時期でもあり、特に最後のあたりは聴いていてこたえた。
 
もうひとつ実際に聴いたのは、1972年6月16日(金)東京文化会館、小沢征爾指揮
日本フィルハーモニー交響楽団、日本プロ合唱団連合、ソプラノ:木村宏子、アルト:荒道子 、日フィル解散前最後の定期(第243回)であった。(この後知られるとおり新日フィルと日フィルの2団体に分裂した形になった。)
 
解散してしまうオーケストラが最後に演奏するのが「復活」とは、聴く方がちょっと恥ずかしい選曲であるが、その当時はそんな感覚はなく素直に受け取った。
これはその後放送されオープンリールで録音したが、もうこの媒体を使わないことにしたときカセットテープにダビングしたものが手元に残っており、ダイナミックレンジが乏しいものの、聴いてみた。
 
思いのほか落ち着いて丁寧に演奏している。最後だからとセンチメンタルになるよりは、最後だから無様な演奏は出来ないというのだろう。丁寧に気合が入って続いていくがしかし、第5楽章に入ると自然にアッチェレラントが見られ、表現の強さと密度が高まっていく。
これCD復刻される価値はあると思うが。
 
 
ところでこの「復活」というのは、聴いていて自然に手を動かし指揮をしてしまうという曲の中でもその最右翼ではなかろうか。
そう、実は世の中には「復活」だけを振る指揮者が存在する。ギルバート・キャプランという人で、好きが高じて指揮法を独学し、「復活」の指揮を覚え、金持ちでもあったので一流オーケストラを指揮する機会も持つようになり、1987年にはLSOと録音、そしてなんと2002年にはウィーンフィルが録音発売(DG)に応じている。

彼は「復活」スコアの研究も行い、ウィーンフィルにも受け入れられたそうであるが、今回のブーレーズがそれを使っているかどうかはわからない。そんなに大きな違いでないからわからないだろうと言っている人もいる。