メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

ディケンズ 「クリスマス・キャロル」

2020-10-04 14:21:12 | 本と雑誌
クリスマス・キャロル:チャールズ・ディケンズ 著 池央耿 訳 光文社古典新訳文庫
ディケンズの作品、一つも読んだことがない。まだその季節ではないけれど、有名だがかなりの長編をいきなり読むよりいいかと思った。
 
イギリスの18世紀前半の、特に女性作家による小説は中高年になってから、若いころのようにこだわらず読んでみて、その甲斐があった。その一方、ディケンズ(1812-1870)の作品は、ヴィクトリア朝の産業発展の反面で庶民の問題が特に庶民にとっては絶えなかった時代のもので、大衆的にもうけたらしいのだが、手に取ってみようとはいかなかった。

だだ、気がついてみたら現代でも話の中で引用されることもよくあるようで、最近では映画「アバウト・タイム」で父親の語りの中に出てくるのが印象的だった。
 
英語圏ではもう一つのキャラクターとして知られているらしいスクルージは、法には触れないがとにかく金もうけ第一でやってきて、妻子はなく、相棒のマーリーはすでに亡くなっている。クリスマスが近くなって、是非ご寄付をときた紳士には彼なりの理屈で断り帰宅したが、そこにマーリーの亡霊が現れ、これから精霊が三人、順に現れると告げる。
 
現れた精霊はスクルージを街に連れていき、庶民の集まり、ある家族の祝いの準備などの場面をみせていく。その中には彼の甥の一家もいる。そこには様々な苦労、不幸があるが、それでもクリスマスをひかえ、皆明るく、陽気にふるまい、人生を楽しむ風をみせている。そのうちスクルージも次第に変わってきて、これら庶民と気持ちを共有するようになっていく。精霊はスクルージの過去、現在、未来に対応していて、三番目の精霊は声を出さないというのも、暗示的でうまい設定である。
 
しかし、一番うまいのは進行する場面場面の描写であって、舞台、映画にしたら、ビジュアルとして魅力、迫力があるだろう。
 
一年に一度、こういう話、場面を浮かべるのもいいかと思う。そういう意図も作者にはあったに違いない。日本の作品では、最近いくつか読んだ山本周五郎のものに通じるかもしれない。
 
ディケンズの作品、映画化したものとしては「大いなる遺産」を見ている。この映画の色調、「クリスマス・キャロル」にも通じると思う。前者に出ていたヘレナ・ボナム・カーターはどこかに使いたい。ロンドンの貧民街などには、ジョニー・デップもいいかなと思う。




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