メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

シモン・ボッカネグラ (メトロポリタン・オペラ)

2011-03-23 10:09:31 | 音楽一般

ヴェルディ: 歌劇「シモン・ボッカネグラ」
2010年2月6日、ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場
2011年2月22日、NHK BSハイビジョン放送の録画
指揮:ジェームズ・レヴァイン、演出:ジャンカルロ・デル・モナコ
プラシド・ドミンゴ(シモン)、アドリエンヌ・ピエチョンカ(マリア)、マルチェロ・ジョルダーニ(ガブリエーレ)、ジェームズ・モリス(フィエスコ)、スティーヴン・ガートナー(パオロ)
 
シモンを聴くのはずいぶん久しぶりである。「ばらの騎士」同様、高性能機材を使ったカメラワーク、おそらく声がのびのびときこえるように録音媒体と再生環境を考えたダイナミック・レンジ設定によって、快適に楽しむことが出来る。
 
このジェノヴァ総督をめぐる政治抗争、父と娘の秘密、間違いの悲劇、これはヴェルディのオペラで珍しくはない。これらに対する登場人物、その役割を、将棋の駒のように一つ一つ進めながら終幕に至るわけだが、部分部分でかなり無理があって、あまり真面目に見ていると気になってしまうから、それは途中から投げ出した方がいい。
 
一方、音楽は記憶にのこるメロディーは少しだし、ドラマチックでないわけではないけれどむしろ気持ちよく流れる。ヴェルディも気分よくかけたのではないか。なにしろ、舞台はパリでもエジプトでもスペインでもなく、イタリアだから。

聴いていると、いくつかの場面で「椿姫」に似たメロディーが、プロヴァンスの空と土地、ヴィオレッタ臨終、、、 「シモン」は1857年、「椿姫」は1853年、不思議ではない。
 
さて、今回の目玉はこのバリトン主役にいどむドミンゴである。テノールとしてはパヴァロッティとは違ってある程度の暗さもある声だし、「オテロ」などドラマチックなものも得意としているから、やってみればなるほどといえる。本人によると、プロローグの後第一幕は25年後だから彼の実年齢に近いそうである。
 
ただ、それでも終盤の父と娘、そしてフィエスコとの再会の場面では、風貌ともどももう少し老いがあり、その上での必死なところがあってもよかったのではないか。これからさらによくなることは期待できるけれど。
 
それはフィエスコのモリスにも言えて、ほんとに立派な歌唱だけれど、風貌ともどもこわさがもう少しあれば。
 
マリアのピエチョンカは見事な歌唱、個人的な好みからするともう少し可憐でもよかったか。
 
「シモン」を初めて聴いたのは、1977年のアバド指揮ミラノ・スカラ座のレコード。ほぼこのセットで1981年スカラ座初来日時の公演を聴くことが出来たのは、今から考えると実に幸せなことであった。そしてこのときもう一つ聴いたのがカルロス・クライバー指揮「ラ・ボエーム」。
 
シモンはピエロ・カップチルリ、マリアはミレルラ・フレーニ、フィエスコはニコライ・ギャウロフという、このキャストはこの人たちのためにある、特にカップチルリは当時ヴェルディのオペラに登場する性格俳優的な役では第一人者だった。
 
演出のモナコはあのマリオ・デル・モナコの息子である。これは「ばらの騎士」と同様、メトロポリタン流というか、音楽と人間のドラマを味わうことに集中している感じで、前記スカラ公演の鬼才ジョルジォ・ストレーレルのように、視覚的にもあっといわせるしかけを伴うもう少し前に出てくる演出ではない。
 
そうしてみると、あのストレーレル演出では、舞台奥の大きな帆が記憶に残る。確かにジェノヴァ総督だから「海」があるわけで、モナコ演出では「海」は感じない。「海」が必須なのかどうかは、今わからない。
 
レヴァインはもうメット40年だそうで、やはり向いているのだろう。芳醇、滑らか、ドラマチック、この人がいればリピーターになってしょっちゅう楽しみたいというのはわかる。
 
今回は「ばらの騎士」とは反対で、幕間のインタビュ-ではルネ・フレミングが大活躍。この人、頭もよく、インタビュー、解説とも本当にうまい。それにあの美貌だから。


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